私鉄座席指定列車シリーズ(7) 小田急ホームウェイ
こんにちは!
久しぶりに私鉄座席指定列車シリーズをやります!
いよいよ第7弾です。
本日は小田急で運行されているホームウェイ号です。
この電車は、特急の扱いで、通常のロマンスカーと料金形態も同一となっています(新宿ー箱根湯本で910円)。
また、正式名称もロマンスカー ホームウェイとのことで、完全に特急ですが、通勤時間限定の運行のため、座席指定列車シリーズとして扱いたいと思います。
基本的には新宿を18時以降に発車する特急に対し、この名称が用いられます。
本線は箱根湯本、小田原、秦野、江ノ島線は、片瀬江ノ島、藤沢などに行先が設定されています。
この電車の最大の特徴は、小田急が誇る各種特急車両に乗れることです。
料金は通常のロマンスカーと変わりませんが、仕事終わりで疲れているときや、大きな荷物を持っているときにはありがたい存在だと思います。
どの車両が運用されるかはYahoo乗り換えアプリなどで確認できるほか、各駅の掲示板、券売機などにて確認が出来ます。
基本的にMSEは東京メトロ千代田線の大手町から運行されるメトロホームウェイに、それ以外の車両は新宿から出発する本線、江ノ島線で運行されます。
さて、気になる停車駅ですが、列車によって全く違います。
町田を通過して新百合ヶ丘に停まったり、新百合ヶ丘を通過して町田に停まったり、海老名、本厚木で選択停車したり、とにかく規則性がありません笑笑
メトロホームウェイは、大手町ー本厚木間で運行され、霞が関、表参道、(成城学園前)、新百合ヶ丘、町田、海老名、本厚木で統一されています。
特急車両が使われており、リクライニングなどがあり、他の座席指定列車よりも快適です。
小田原まで運行されるということで、私鉄の中では比較的長距離なため、ありがたいところですね。
道中は、これまた小田急自慢の複々線を最大限に活用して走るかとおもいきや、時間の関係もあって本数も多く、都内を中心に意外と遅いです。
いかがだったでしょうか?
私鉄の中では比較的長距離の運行で、特急車両が使われる小田急ホームウェイ。
車両のバリエーションが豊かで、これは他の私鉄やJRにはない楽しみかもしれませんね。
メトロ大手町を始発にしている車両もあり、かなり便利な座席指定列車だと思います。
疲れた時や荷物が多い際には、ぜひホームウェイをご利用ください。
今回もお読みいただきありがとうございました。
【鈍足すぎる】ワイドビューふじかわはなぜ遅いのか?
特急電車…
それは停車駅を絞り、目的地に早く着くことを求められる列車です。
中には特別な料金を取って、運行される列車もいます。
停車駅が基本的に少なくなっており、加減速も少ない特急は、その足の速さがウリです。
ところが、身延線の特急ふじかわ、飯田線の特急伊那路は非常に鈍足で知られています。
みなさんこんにちは!
まずは身延線について見ていきましょう。
静岡、甲府側ともに利用者が多く、それぞれ西富士宮、鰍沢口までの区間列車が多く運行されています。
また、特急ふじかわは富士から東海道本線に入り、静岡まで運行され、新幹線への接続なども考慮され、両都市圏においてはかなり便利な路線だと思います。
富士から富士宮周辺の区間にかけては、富士山が良く見えることで有名です。
沿線の富士山本宮浅間大社などからもよく見えます。
一方で、それ以外の西富士宮から鰍沢口の区間においては、勾配やカーブも多く、かなりの低速運行を余儀なくされます。
特急ですら時速50キロを下回る低速運転に加え、山間部は単線ということもあり、交換待ちなども頻繁にあります。
富士から甲府の距離は88キロほどで、甲府ー八王子と同距離です。
例えば特急あずさであれば、甲府から八王子を最速で50分ほどで走破しますが、ふじかわは2時間近くかかります。
この時間の長さが、身延線がいかに線形の悪い路線かということを物語っていると思います。
ですが、山間部については、富士川に沿って美しい景色も拝むことが出来、悪いものでもないですね。
表定速度がかなり遅くなりそうなふじかわですが、東海道線区間では高速で運転できるので、何とか日本一遅い特急の称号は受けずに済んでいます。
さて、今回はそんなふじかわの鈍足区間の始まり、富士宮から乗車をしました。
使用車両は373系です。
両開きの扉だったり、デッキとの境界が不完全だったり、どことなく通勤も意識している特急車両なんだろうなぁ…という印象を受けます。
JR東海区間のホームライナー系統や、定期列車時代のムーンライトながらに使われたなど、比較的マルチな車両です。
時間の問題もあるとは思いますが、静岡から富士宮までの区間では通勤需要があり、利用者が多い一方、それから先は空気輸送状態です。
ちなみにこの時は私以外の乗客がいませんでした笑
沿線の身延には日蓮宗の総本山などの他、下部温泉などがあり、随一の観光地となっています。
身延線をゆっくりと走ってきたふじかわですが、甲府の近くになってくると、また特急らしい高速な走りを見せてくれます。
いかがだったでしょうか?
カーブに勾配が多く、鈍足特急なんて呼ばれている特急ふじかわ。
しかし、静岡、甲府の近くでは利用客も多く、重要な役割も担っています。
沿線にも有名な観光地やうつくしい景色を楽しめる場所も多く、楽しい路線の一つだと思います。
暇なときには是非とも身延の旅へ!!
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(17) 【鉄道唱歌再編】【神戸】
みなさん、こんにちは!
東海道線の旅は終点の神戸です。
当初は16回って言いましたが、書きたいことが結構あったので、17回になってしまいました笑
本日は、神戸市についてと、神戸駅が担う鉄道上の重要な役割について見ていきます。
神戸市
京阪神という言葉が示す通り、関西の重要な都市の一つである神戸市。
横浜に次ぐ大規模な港湾で、また、関西のおしゃれタウンとしてもその名を馳せていますね。
平清盛が大改修を行った大輪田泊がその始まりで、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて中国の宋との間で行われた、日宋貿易でたいそう栄えていました。
表記なども変わっていますが、和田岬として現在もその名を残しています。
ちなみに、神戸市の繁華街は神戸駅周辺かと思いきや、その2つ大阪よりの三ノ宮駅です。
昔は、神戸駅周辺が栄えていたようですが、太平洋戦争の復興などを通じて繁華街は東側に移ったとのことです。
この後も触れますが、鉄道の運行上で特段に重要な駅ではない上、繁華街は三ノ宮駅周辺なので、神戸駅が東海道本線の終点で山陽本線の起点であるという事実はあまり知られていません。
東海道本線の終点
このシリーズの最初にも触れましたが、東京駅から続いてきた東海道本線はここで終点を迎えます。
東海道本線は実に営業キロ589.5キロと、その他多数の支線を持ち、本線を名乗る路線として、日本で2番目の長さを誇ります。
かつては昼夜を問わず、東名阪、その先の山陽九州方面に向け、多くの貨物列車や特急列車が走っていました。
1964年以降、徐々に新幹線に速達の役割を譲りながらも、貨物輸送など、現在でも重要な役割を担い続けています。
山陽本線の起点
東海道本線は神戸駅で終点を迎えますが、この区間はJR神戸線の愛称を持ち、線路は続いています。
鉄道要覧的に言えば、神戸から西へ伸びる路線は、山陽本線です。
東海道本線や鹿児島本線とともに、日本の最重要の役割を担い、新幹線に役割は譲っていますが、地域輸送や貨物輸送など、重要な役割を担っています。
山陽本線は、この神戸駅を始発とし、九州福岡の門司駅までを結んでいます。
最後の下関ー門司だけがJR九州の管轄で、他は全線JR西日本が管理しています。
その昔、関門海峡の開通前は、三田尻(現在の防府)が終点で、少し戻った徳山港からの連絡船が九州への主たるアクセス手段でした。
いかがだったでしょうか?
1872年に新橋ー横浜に初めて開通した東海道本線。
日本で初めての鉄道でもあり、その原点と言えるでしょう。
昔は名だたる寝台特急が、新幹線に主役を譲った今でも貨物輸送など、重要な役割を担い続けています。
全区間に渡って本数も多いので、鈍行旅行をしてみるのも面白いかもしれませんね。
東海道本線シリーズ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
山陽本線は、もしまた気が向いたらやります笑
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(16) 【鉄道唱歌再編】【山崎ー天王寺】
皆さんこんにちは!
東海道本線の旅もあと少し、2回で終点です。
ということで、早速今回の区間を見ていきましょう!
山崎
まずは山崎です。
ここでは何が有名かと言えば、お酒好きな方はご存じかもしれませんが、サントリーの山崎蒸留所があります。
特にウイスキーインペリアルはここの最高傑作ということで、その名を馳せています。
寿屋が、サントリーへの改称記念として発売され、当時の定価で1万円超の代物です。
当時の大卒新卒者の給料が21000円ほどだったとのことで、とても高級なものであったことがお分かりいただけると思います。
私も、たまたま頂いたものを飲んだことがあるのですが、1000円くらいのものとは比較にならないそのおいしさに驚いたものです。
駅構内には、ウイスキーなどの発酵に使われていた樽で作られた椅子などがあります。
高槻
高槻では…
特に触れることはないのですが、滋賀に高月という場所があって、発音が同じですよね?っていうしょうもないことだけ触れておきます笑
大阪
続いて大阪。
言わずと知れた日本第二の都市です。
鉄道唱歌では、そこまで大阪に触れていない関係で、簡単に見るだけではありますが、食い倒れの街や大阪城、新世界など、東京にはない独特な雰囲気が楽しめる街ですね。
ちなみに、大阪を大坂と表記しないのは、”坂”を分解してみると、(武)士に反するということで、謀反などを連想させ、縁起が悪いということで、大阪と書くそうです。
今回は大阪城と梅田スカイビル、安治川口に触れてみましょうかね。
大阪城
大阪城は、豊臣家の拠点として知られています。
江戸の徳川、大阪の豊臣で権力が二分に近い状態もあったこともあり、建設当時もたいそう立派なもので、建設までには15年を要したそうです。
現在の4~5倍もの敷地面積を誇っていたことからも、その大きさがうかがい知れると思います。
しかしながら、1615年の大阪夏の陣によって豊臣家もろとも滅亡、焼失しています。
江戸時代に入って以降、徳川家康が再建しますが、1665年の落雷や、1886年の明治維新で破損や焼失をしてしまいます。
太平洋戦争時にはさらに破損が続きましたが、昭和、平成時代に大改修を行い、現在の姿へとなりました。
わりと最近の改修ということで、天守閣にはエレベーターもついているそうですね。
梅田スカイビル
こちらは大阪の駅前にあり、大阪市内北部の展望スポットと言ったところでしょうか。
天王寺のあべのハルカスが有名ですが、こちらも高さがあったり、面白いエスカレーターなどがある、観光名所の一つになっています。
独特な形の建物で、初めに両側のビルを若干外側に反り返るように建設し、最後に展望台などがある部分を引っ張り上げる形で建設されたそうです。
安治川口
まあ、安治川口を目的に行く人はほとんどいないとは思いますが…
工場などが軒を連ね、まさに下町という雰囲気があります。
現在はもう少し先にUSJがあるので、そちらの方が有名ですが、明治時代周辺にはたくさんの船が出入りし、栄えていたのではないでしょうか。
天王寺
最後は天王寺です。
大阪市内南部の拠点で、こちらもまた栄えています。
阪和線や関西空港線などを始め、和歌山方面への拠点でもあり、交通の要所です。
四天王寺
今から1400年ほど前、聖徳太子の時代に建立されたのが四天王寺です。
およそ538年あたりに日本には仏教が伝わったとされ、仏教賛成派の物部氏と反対派の蘇我氏で争っていました。
両者の戦いの中で、聖徳太子は物部氏側につくも、形勢は不利、そこで勝利を願い、四天王像を彫りました。
戦い勝利後には、四天王を安置する寺院を建て、人々の救済に貢献すると誓い、実際に戦い勝利後にはその約束を果たすために四天王寺を建立しました。
南から北に向かって、中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べた構造をしており、日本でも最も古い建築様式で、大陸から伝わったものとされています。
当時の様式(四天王寺式伽藍配置)を残す、貴重なものとなっています。
あべのハルカス
現在は日本一高いビルとして有名なあべのハルカス。
高さは300mほどあり、東京タワーに匹敵する高さです。
ハルカス300という展望台の他、17階地点位にも簡単な庭園があります。
個人的には、関西本線(大和路線)の東部市場前とか平野あたりから見えるハルカスが好きです笑
いかがだったでしょうか?
大阪と言えば食い倒れですが、流石は大都会とあって、駅前に展望台があったりと、遊ぶ場所には困らなそうです。
夜景なども間違いなくきれいでしょう。
東京とはまた違った、楽しげな雰囲気…
早くまた大阪に行きたいですねぇ…
今回もお読みいただきありがとうございました。
さらばE4系 Maxたにがわ 高崎ー東京乗車記
混雑して、電車に乗れないとき…
スキー板など大きな荷物を持っているとき…
そんな時に心強い味方…
E4系新幹線。
1997年のデビュー以来、長きにわたって活躍してきた、また日本で唯一の2階建て新幹線が本日10月1日をもって引退します。
みなさん、こんにちは!
今回はタイトルの通り、本日で定期運用を終了するE4系新幹線を振り返ります。
まずはじめに、当形式と2階建て新幹線の歴史について、軽く振り返ってみましょう。
2階建て新幹線の歴史
初めに、2階建て新幹線の歴史は、国鉄時代にさかのぼり、東海道山陽新幹線の100系新幹線に始まります。
2階建て車両を2両連結し、グリーン車やカフェ、指定席などを備え、大変好評だったそうです。
また、国鉄分割に際し、100系新幹線は全てJR東海に引き継がれ、JR西日本は全て0系新幹線でした。
そこで、JR西日本は更なるサービス性の向上を目指し、2階建て車両を4両つないだグランドひかりを投入します。
ちなみに、この指定席は2-2配列で、現在のひかりレールスターやN700みずほ、さくらに継承されています。
東海道山陽系統で大変好評だった2階建て車両でしたが、高速化の足手まといになることなどを理由に、90年代からは衰退、300系、500系、700系、N700系と、高速化を重視した車両に取って代わられ、2012年には完全に消滅してしまいます。
JR東日本の2階建て新幹線
さて、一方の1982年に開業した東北新幹線。
一時期、200系新幹線に2階建て車両を連結して運行していましたが、秋田新幹線などとの併結のため、比較的短命に終わっています。
一方で、1990年代、バブルの風潮も相まって、栃木県や群馬県からの新幹線通勤も当たり前だったこの時代、大量輸送を目的に、全車2階建てのE1系新幹線がデビューします。
通常2-3配列の新幹線の座席を覆す、3-3配列の車両も用意され、大量輸送に一役買っていました。
E1系は12両固定編成で、勝手が微妙だったこともあり、後継のE4系では、1編成を8両とし、山形新幹線の400系やE3系、E4系同士での併結を可能とし、使い勝手が向上しました。
E4系新幹線の詳細については、次の項目で触れていきます。
E4系新幹線について
当初は東北新幹線で、Maxやまびこなども担当し、400系、E3系つばさとも併結運転を行っていました。
併結相手がミニ新幹線だったこともあり、ひときわその大きさは目立っていましたね。
また、つばさだけでなく、E4系同士で併結運転されることもあり、2つ繋いだ16両編成での運転時は、座席数1634席となり、世界最大の輸送力となります。
しかし、時代が進むにつれて、東北新幹線にも大量輸送より高速輸送が求められるようになりました。
最高速度も240キロということで、320キロのE5系を運行する上ではネックとなっていたE4系は、上越新幹線へと活躍の場を移し、2020年での引退が予定されていました。
しかし、2019年の長野豪雨によって、E7、W7系が水没してしまった関係で、当初上越新幹線に投入予定だったE7系を、北陸新幹線に投入したため、上越新幹線ではE4系を延命することになりました。
しかしながら、北陸、上越新幹線用のE7系が数を揃えつつあり、ついに本日で定期運用を終了することになりました。
乗車記
さて、ここからは車内の様子、過去記事も交えてグリーン車の様子も触れていきたいと思います。
E4系の特徴の一つとして、簡単なリフトが設置されています。
これは乗客用ではなく、車内販売の台車を上下に移動させるためのものです。
というのも、E4系は階段がある関係で、ワゴンを簡単に移動させることが出来ないからです。
どこかで聞いたような気がするのですが、あのワゴンって確か重さ100キロくらいあるそうですよ。
また、E4系は、新幹線として車内に売店がある最後の形式です。
E1系には、リフトがなく、ワゴンの移動は出来なかったため、カゴに飲み物などを入れ、巡回、それ以外の物品は売店で買うスタイルが採用されていました。
E4系にはリフトはあったものの、そのスタイルを踏襲し、車内販売の基地の側面を持たせつつ営業していました。
こちらは冒頭でも触れた3-3配列の座席です。
大量輸送を目的としていたため、主に自由席を中心にこのような座席が採用されていました。
ひじ掛けやリクライニングがなく、現在は少々不満な席ですが、ぎゅうぎゅうの通勤電車に比べると、だいぶ楽だったのではないでしょうか。
通常の座席は2-3配列で、特に2階席だと景色が良く見えました。
こちらは2階席から見た冬の上越の景色です。
1階席では、ホームギリギリのスリルや、冬場のスプリンクラー噴射などを楽しむことが出来ました。
フットレストや深いリクライニングなどがあり、快適な座席です。
詳しくはこちらもご参照ください。
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
もう最後ということで、特別なラッピングもされ、上越新幹線を駆け抜けました。
いかがだったでしょうか?
24年にわたって活躍したE4系新幹線。
私個人の話をすれば、小さいころ、大宮(鉄道博物館や大宮総合車両センター)に遊びに行くにも、E4系に乗りたいがためにわざわざ新幹線を選んだりしていたものです。
大人になってからも、新潟に行く際には頻繁に乗っており、かなりお世話になった車両です。
そんな車両もとうとう引退ということで、寂しさもありつつ、新たな上越新幹線の姿に期待しようと思います。
ということで、E4系、今までお疲れさまでした!
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(15) 【鉄道唱歌再編】【京都】
みなさん、こんにちは!
早速ですが、一つクイズです。
日本の首都はどこでしょう?
もちろん、東京ですよね。
それは間違いではないでしょう。
ところが、明治天皇が京都から東京へ行幸して以降、東京への遷都の宣言はしていないことから、現在も日本の首都は京都であるという考え方もあるそうです。
ということで、本日は京都を扱います。
というか、扱うことが多すぎて、困ってるんですよね…
まあ、皆さんなりに、自由な京都観光を楽しんでほしいとは思いますが、京都初見の方向けに、一つの観光プランの作り方でも紹介しようと思います。
最後に京都関連の記事をまとめておくので、気になった名所はそちらをご参照ください(丸投げ笑)。
京都府
京都は言わずと知れた、日本史上最重要な場所でしょう。
「京」は皇居のある土地
「都」は多くの人々が集まる場所
を意味しており、本来は普通名詞(都市、街などと同じ扱い)だったそうです。
東アジアで古来より、天子のいるところを京などと呼んでおり、その影響を受けていると言えます。
そのため、飛鳥京など平安京以外を京都と呼ぶこともありました。
そして794年の平安京遷都により、平安時代が始まります。平安後期以降、京都を固有名詞とする使い方が広まり、現在に至ります。
ちなみに昔は、京の都、京などと呼ばれたり、奈良との区別から、京都は北京、奈良を南京と呼んでいた時代もあったようです。
京都市
府の人口の中でも半分以上がこの京都市に住んでおり、県庁所在都市人口が都道府県人口の50%を超えるのは京都だけです。
京阪神、という呼び方があるように、東海道本線の沿線に沿って大阪市、神戸市とともに関西地方の重要な役割を担う都市と言えるでしょう。
京都市では景観を守る観点から、高い建築物は規制がかけられており、京都タワーを除いては高い建物は見受けられません。
ちなみに、上の写真は京都駅ですが、まさかの近未来デザインということで、1997年当時は賛否両論あったそうですね。
私はかっこよくていいと思いますよ笑
観光の大前提
基本的に、個人で観光する上では、バス、タクシー、鉄道などが候補になると思います。
バスは京都市が運行する市営バス、京阪バスなどが運転されています。また、ワンデーパスなどの切符が発売され、市営地下鉄などとともに乗り放題のものがあるので、そちらを使うと良いでしょう。
タクシーは、京都市内の初乗りが安いということもあるので、案外良いかもしれません。
流石に何回も乗ると高くつきますが、駅の近くや、バスの待ち時間が結構ある場合にはタクシーでも良いかもしれませんね。
最後に鉄道です。ここでは主にJRに触れます。
実は、道路の渋滞もなく、結構便利なのが鉄道です。
山陰本線(嵯峨野線)を使えば、二条駅から二条城、太秦駅から映画村、嵯峨嵐山駅から嵐山などにアクセスできます。
決して近くはないですが、歩けない距離ではないです。切符を京都市内にならないように(切符の終点を山陰本線の亀岡以西になるように)すれば、何回でも途中下車が出来ます。
経路の組み方
まあ、京都に限らず、一筆書きの経路を取るのは旅行の基本だとは思いますが、京都にもそれを適応させましょう。
まず、行きたいところピックアップします。
いろいろピックアップされ、時計回り、反時計回り、どちらにしようか悩むことでしょう。
基本的には、京都駅を起点に考えて、東→北→西の経路となる、反時計回りがおススメです。
上記の名所であれば、書いてある順番に回るのが良いと思います。
そうすることで、拝観時間をそこまで気にする必要がありませんし、嵐山は比較的遅くても見学は出来るからです。
逆にすると、嵐山で思いのほか時間がかかったりして、最後1つの名所に行けない!ということが、まれに起きると思います。
ちなみに、平等院、伏見稲荷などに行きたい場合には、(時間にもよりますが、)昼までに京都着予定なら、宇治までの切符を作ることで、両者を途中下車しながら見学できると思います。
☆上級者向けかとは思いますが…
例えば、京都とともに、他の県に行きたい場合には、乗車券は京都で切らず、最終目的地まで作ったほうが良いと思います。
特に、奈良、大阪、城崎温泉方面は、最終目的地まで作ったほうがお得だと思います。
経路途中にある名所はその乗車券で行ってしまいましょう。
つまりまとめると…
京都市内を中心に丸一日取るなら、一筆書きでバスがおススメ
宇治にも行きたいなら、着いた日に行ってしまうのがおススメ
山陰本線は意外と便利なので、市内の西側観光には割とおススメ
京都以外にも行きたいなら、最終目的地までの乗車券を作るのがおススメ
まあ、こんな感じですかねぇ…
過去記事
以下から、気になる記事があれば見て頂ければと思います。
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
いかがだったでしょうか?
京都市内のバス系統は大変複雑ではありますが、乗り換え案内アプリや、各名所の案内所などで逐次確認を取りながら、観光をしてみましょう。
また、なるべく一筆書きで、東から経路をスタートさせるのがベストだと思います。
京都市内に住まれている方もたくさんいらっしゃるので、マナーを守りながら観光を楽しみましょう。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(14) 【鉄道唱歌再編】【石山ー稲荷】
皆さんは、古文や日本史はお好きですか?
私はね、結構好きですよ。
まだまだ若造だし、学者でもないから、完璧に読み解くことは出来ないですけど、昔の人の粋な心に触れるというのはとても素晴らしいことだと思っています。
本日はそんな古文、日本史の世界でも重要な役割を担っていた石山や逢坂山、そして京都の稲荷までの区間を見ていきます。
石山
石山は滋賀県の都市の一つで、瀬田川ほとりの石山寺と瀬田唐橋が有名です。
瀬田唐橋
京都に入るためには、大きく迂回をしない限り、瀬田川を渡らなければなりません。
特に、明治時代までは、瀬田川に架かる橋がこれしかなく、その重要度は言うまでもありません。
唐橋を制する者は天下を制する、とまで言われたほど、この橋は重要なものでした。
数多くの戦乱の際に、落とされては架けなおされ、という歴史を繰り返してきています。
現在も県道が通っており、かなりの交通量があります。
石山寺
石山寺は、平安時代には、京都の清水寺や奈良の長谷寺と並ぶ、三観音として、貴族を中心にその信仰が盛んになっていました。
また、この石山寺は、多くの文学者が参拝したことでも知られ、かの紫式部も参拝をしているそうです。
何でも、寺への参籠中に源氏物語を書いたという伝説があります。
紫式部の他にも、蜻蛉日記の藤原道綱母、更級日記の藤原孝標娘なども参拝しているそうです。
逢坂山
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
逢坂山は様々な和歌に登場し、逢ふとの掛詞になっています。
まあ、古文の授業ではないので、掛詞の説明は省略しますが、一つの言葉に二つの意味を持たせる技法です。
昔の人は、おそらく山登りをして、都に入っていたので、苦労した末の出会いということで、逢坂山には特別な思い入れがあったのではないでしょうか。
滋賀県と京都府の境界は主に山ということで、湖西線沿線には、逢坂山を始め、比良の山々が軒を連ねています。
この山から琵琶湖に向かい、強風が吹くことがあります。
これを比良下ろしと言い、湖西線に多大な影響を与えます。
風が強すぎると、特急サンダーバードは米原経由になることがあり、40分程度の遅れが発生することがあります。
稲荷
さて、京都の稲荷と言えば、言わずと知れた伏見稲荷のある場所です。
現在は奈良線の駅となっていますが、実は昔は東海道本線の駅でした。
現在、東海道線の京都と滋賀の境は東山にトンネルを開通させていますが、昔はそれだけの技術がなく、東山を迂回する形で稲荷を経由し、京都へと向かっていたのです。
そんな稲荷は伏見稲荷の千本鳥居が有名ですね。
二つの鳥居があり、行きと帰りに分かれていますが、帰りは全然混んでいないので、写真なども穴場だと思います。
いかがだったでしょうか?
長く、日本の都は京都に置かれており、重要な文化財もたくさんあります。
滋賀県はその陰に隠れがちではありますが、実は歴史上かなり重要な名所があります。
京都ほど便利ではないものの、たまには滋賀に足を運んでみるのも面白いかもしれませんね。
今回もお読みいただきありがとうございました。