日本の大動脈を担ってきた東海道本線(13) 【鉄道唱歌再編】【岐阜ー彦根】
皆さんこんにちは!
いよいよこの企画も名古屋を超え、ゴールの神戸が近づいています。
本日の区間は、岐阜から彦根ということで、だいぶ進みますが、よろしくお願いします!
岐阜
主要都市としては、岐阜と大垣があります。
岐阜は高山本線の分岐点でもあり、スイッチバックがある関係で、特急ひだは名古屋を、座席が進行方向後方を向いて発車します。
関ケ原
言わずと知れた、天下分け目の戦い、関ケ原の戦いが繰り広げられた場所です。
東軍の徳川家康、西軍の石田三成を総大将に、両勢力がぶつかった戦いです。
西軍小早川秀秋の裏切りにより、東軍が勝利しました。
後に、徳川家康から土地を授かるも、秀秋は若くして亡くなってしまいます。
ちなみに、江戸時代には譜代大名と外様大名が設定されますが、関ケ原の戦いを境にしており、幕府の政治にとっても大きな意味のあった戦いだと思います。
戦い以前から徳川家に従っていたのが譜代大名、戦い以後従うようになったのが、外様大名です。
米原
続いては米原です。
ここは、鉄道などを始めとする滋賀県の交通の要所です。
北陸本線の起点であり、東海道本線にとっても、JR東海とJR西日本が切り替わる場所でもあります。
滋賀県と言えば琵琶湖ということで、高い場所に行くと、うっすらと確認が出来ます。
駅前東横インの高層階とか結構よく見えますよ笑
彦根
続いては彦根です。
日本でも数少ない、天守閣が現存している12城の一つです。
近隣の大津城や長浜城から天守閣や門を移築しているそうですが、築城には20年ほどかかっているようです。
かつては近くに佐和山城という城があり、一時石田三成なども入城していたとされています。
これを徳川四天王の井伊直政が引き継ぐことになりますが、住民には井伊家が石田家を引き継いだように見えてしまい、あまり良くないということで、彦根城が建設されたそうです。
琵琶湖の湖畔にあるため、なかなか良い景色を拝めます。
ちなみに彦根城は明治時代、廃城の危機がありましたが、明治天皇の北陸行幸の際に、通りかかり、保存せよとの命令があったとか。
保存状態もかなり良く、国の重要な史跡にも認定されています。
いかがだったでしょうか?
江戸時代は言わずもがな、今の東京に幕府が置かれていましたが、しっかり西日本の方にもその影響力があったことが分かります。
遠くであっても、自分の信頼できる家臣を置くようにするなど、徳川家康もうまいこと考えるなぁと思います。
なかなか戦国時代終わりの人間関係も大変そうですね…笑
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(12)【鉄道唱歌再編】【名古屋】
東京、西京、そして中京…
東京、大阪に次ぐ日本の都市圏として名を馳せる名古屋。
本日は中部の中心都市として栄える名古屋を見ていきます。
名古屋については、色々な記事で触れている面も多く、お読みいただいている方も多いかとは思いますが…
とりあえず、今回はグルメと名古屋城に焦点を当ててみたいと思います。
グルメ
こんなことを言ったら、名古屋の人に怒られそうですが、名古屋に目立った観光名所は少ないと思います。
その代わりにグルメはたくさんあり、胃袋は飽きません笑笑
味噌カツ
とりあえず、名古屋と言えば味噌カツですかね。
矢場とんはおそらく、一番有名な味噌カツチェーンだと思います。
本店は、店名にもなっている矢場町にあります。さすがは本店ということもあって、結構人気もあるとか。
やはり、甘辛い、名古屋ならではの味ということで、私も大好きです。
ひつまぶし
名古屋グルメのツートップと言えば、味噌カツとひつまぶしだと思います。
まずは、そのまま楽しみ、次に薬味を加えて、最後は出汁に浸けて頂くスタイルです。
一仕事して、夜に贅沢に頂くというのが最高ですね。
若干料金も高くなりますが、肝吸いも付けちゃいましょう笑笑
その他
おやつからお土産まで、なかなか名古屋のグルメは充実しています。
名古屋城
名古屋は、グルメは様々ありますが、有名な名所というと、あまり浮かばないかもしれません。
とりあえず、金の鯱が有名な名古屋城を見ていきましょう。
1615年に徳川家康によって建築され、史上最大の延床面積を誇る城です。
残念ながら、空襲で焼失していますが、復元され、特別史跡にも指定されています。
かつては、同様の地に那古野(なごや)城が建っており、室町時代に今川氏の一族が建てたとされています。
戦国時代突入後は、織田氏、そして織田氏の家臣へと受け継がれましたが、1582年に廃城となりました。
以降は、天下分け目の戦いである、関ケ原の戦いを迎え、徳川家は江戸に、豊臣家は大阪にその城を構え、権力は二分状態となっていました。
来るべき豊臣家との戦いに備え、江戸と大阪の中間地点に要塞たる名古屋城を築くことを、徳川家康が決意し、現在に繋がるといった歴史があります。
ちなみに、名古屋城と言えば、しゃちほこですが、これはかつて博覧会に出展されたものが、今風の言葉で言えば、バズり、一躍有名になったようです。
中国の伝説の生物で、しっかりオスとメスがいるそうです。
火事が起きたときは、空を飛びながら、口から水を吐いて消火すると言われていることから、城の守り神としての側面があります。
いかがだったでしょうか?
私事、恥ずかしながら名古屋城を徳川家康が建てていたということを知りませんでした。
しかし、背景を調べてみると、大阪夏の陣や冬の陣に備えていたという背景があり驚きました。
名古屋は岐阜方面や、高山方面、伊勢方面への玄関口であり、グルメも有名なので、新幹線の乗り換え時間を活用して楽しむのも良さそうですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(11) 【鉄道唱歌再編】【蒲郡ー熱田】
皆さんは三種の神器を見たことはありますか??
三種の神器とは、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫のことで、皆さん当たり前に使っていると思います。
あまりにも便利な家電たちですよねぇ……
冗談です笑笑
さて、おふざけはほどほどに、本日は三種の神器の一つ、草薙剣が祀られている熱田神宮までの区間を扱います。
蒲郡
駅を降りてすぐ海につきます。
奥の方に山のようなものが見えるので、冬晴れの日に、堤防の方まで行くといい景色が見られるかもしれません。
岡崎
続いては、岡崎です。
若いころは岡崎城を拠点としていました。
徳川家康は三河藩、織田信長は尾張藩の出身ということで、案外愛知県というのは歴史上の重要人物の出身地でもあります。
また、熱田の少々手前の大高という場所には、桶狭間の戦いの前哨戦に使われた、鷲津砦跡があります。
まあ、素人目から見ると、石碑が立っているだけで、砦があったなんて分からないんですけどね笑
熱田
さて、それではメインの熱田神宮を見ていきます。
三種の神器について
改めて、三種の神器とは、歴代の天皇がその証として受け継いできた宝物で、草薙剣、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つを指します。
ニニギノミコトが、現宮崎県の高千穂峰に降臨した際に、天照大神より授けられたとされています。
実物は見てはいけないとされ、天皇陛下でさえご覧になられたことはないとのこと。
勾玉は皇居に、鏡は伊勢神宮内宮に、剣は熱田神宮に祀られています(勾玉は本物、鏡と剣は分身を皇居に置き、本物が各神宮にまつられている)。
最初に触れた、家電三種の神器についても、この伝説にあやかり、宣伝のためのキャッチコピーとして使われたものです。
熱田神宮
名古屋から見ると伊勢神宮が常識的な日帰り圏内のため、軽視されがちなイメージがありますが、伊勢に負けるとも劣らない立派な神宮です。
確か、拝殿があって、草薙剣は敷地内の別の場所に鎮座していたと記憶しています。
もちろん、天皇陛下ですらご覧になられたことはないので、私のような凡人が本物を見ることは出来ません笑
ちなみに、参拝の際は名鉄の方が便利ですよ。
JRの名古屋市内の扱いは捨てがたいですが、駅からはそれなりに距離があるので、名鉄の神宮前から行く方がおススメです。
あとは道もわかりやすいからね。
いかがだったでしょうか?
草薙剣の本物が祀られているなど、実はかなりすごい場所です。
名古屋にお出かけの際や、伊勢神宮参拝のついでに行ってみるのも面白そうですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(10) 【鉄道唱歌再編】【舞阪ー豊川】
皆さん、こんにちは!
最近、投稿ペースが安定しなくてごめんなさいね。
結構忙しくて、時間取れる時に書いてるんですが、なかなか…
絶賛中弛み中の東海道旅行ですが、本日は舞阪から熱田までの区間を見ていきたいと思います。
浜松を出ると、東海道の宿場としても栄えた舞阪につきます。
弁天島駅を降りて浜松方面に歩くと、舞阪宿の記念碑の他、浜名湖の景色を拝むことが出来ます。
時間が合えば在来線と新幹線の並走も見られます。
浜名湖を渡ると、いよいよ静岡県も終わりが見え、愛知県の豊橋に到着します。
豊橋では、名鉄とJR飯田線が線路を共有するというなかなか類を見ない区間となっています。
この区間では、豊橋駅から平井信号場までの区間で、山側の線路を名鉄が、海側の線路をJR東海が保有し、二つ合わせて複線となっています。
最初に飯田線の前身となる豊川鉄道が、線路を伸ばし、その後、名鉄の前進の愛知電気鉄道が、一本ずつ線路を伸ばし、そして共用を開始し、現在に至ります。
ちなみに、名鉄は支線ではなく、名古屋本線の東側の終点であり、重要路線にも関わらず、豊橋駅では1本のホームしか使えないなど、不便も多くなっています。
そのため、基本的に豊橋に乗り入れるのは、優等列車のみで、各駅停車などは隣の伊奈駅で乗り換えることになっています。
名古屋では近鉄に押され、豊橋ではJRに押され、なかなか名鉄は不遇だと思います…
豊川駅構内や駅前ロータリー、参道など至る所に狐の像などが設置されています。
そもそも、狐と稲荷の関係とは何なのでしょうか…?
狐は、農業をする上での害獣であるネズミを駆除してくれるとのこと。
古く日本ではオオカミを神の使いとして崇めていたそうですが、後に農業が広がると、狐の方に愛着がわき、いつしか神の使いとなったそうです。
ちなみに神様の狐は白、あるいは透明だそうで、白狐という言葉も存在します。
もう一つ稲荷の狐に関する豆知識を紹介して今回はしめましょう。
いなり寿司と狐の関係についてです。
神様の使いということで、農民はお米を狐に与えていましたが、ある時油揚げに包んであげたところ、尚喜んだとのこと。
それ以降、この噂が広まり、狐=油揚げ(いなり)という公式が作られたそうです。
いかがだったでしょうか?
様々なものに神様を見出す、いわゆる八百万の神の考え方がある日本の神社。
その由来について調べてみると非常に面白いものですね。
皆さんのお気に入りの神社で素晴らしい由来や背景があったら是非コメントで教えてください!
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(9) 【鉄道唱歌再編】【焼津ー浜松】
皆さん、こんにちは。
どんな場面でも、真ん中が最も気が緩む、中弛みの状態…
私は一体何を言っているのでしょうか…笑
この旅行全15日を振り返ると、3、4日目のこの辺りが最も疲れもたまり、慣れてきたころということで、力が抜けていた気がします笑笑
~焼津
銚子や釧路と並ぶ、日本有数の漁港でもある焼津。
この焼津を含め、ヤマトタケルの東征に深いかかわりのある場所が静岡には多くあります。
この地にいた敵を、土地を焼くことで滅ぼした伝説から、この場所は「やきつ」と称され、焼津となったそうです。
~掛川
一応、サムネイルにもしているので、本日のメイン、夜泣き石伝説を見ていきましょう。
ちなみに最寄り駅は金谷駅にはなっていますが、タクシーに乗るような距離でもあるので、よほどのもの好きでなければ、行かないとは思いますが…
その昔、妊婦が山を歩いていると、盗賊に襲われたそう。
その夜、山の方からは泣き声が聞こえ、それに気づいた僧侶が向かってみると、赤ん坊が虫の息でいるではないか…
この赤ん坊の状態では泣くことなど到底不可能、きっと婦人の魂が石に乗り移って泣いていたのだろう…
僧侶は早速赤ん坊を連れ帰り、水あめで育てることにします。
赤ん坊はすくすく育った後、母親を切りつけたと言う盗賊と語り合い、その御霊を鎮めたということです。
ちなみに、この伝説に由来してか、近くには子育て飴というものが販売されています。
また、遠州七不思議にも数えられ、この土地を語る上での重要な伝説となっています。
では夜泣き石を後に、掛川を目指します。
掛川駅は、新幹線駅では唯一木造の駅舎が使われていることで有名です。
駅舎だけ見たら、とても新幹線が通っているような駅とは思えないですね笑
~浜松
静岡県の県庁所在地は静岡市ですが、人口は浜松市の方が多く、こちらも静岡市に負けないくらいの活気にあふれています。
新幹線からでも見える浜松アクトタワー、これが見えるとなぜか妙にテンション上がります笑笑
浜松と言えば、うなぎということで、駅前にも高級そうな店舗もあります。
行こう、行こう、と思いつつ、見事に浜松に行けていませんが、そろそろ鰻を食べたいですね笑
いかがだったでしょうか?
東西に広い静岡県。
前回も触れたとおり、東部は東京と、西部は名古屋と、結びつきが強く、かなり文化が異なるのは面白いものです。
距離的にも遠くはないので、気軽に遊びに行けるのもポイント高いですね。
軽めに旅行したい方には静岡をお薦めします。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(8) 【鉄道唱歌再編】【富士ー静岡】
本日は、富士から静岡を扱います。
三島、沼津は静岡県ではあるものの、横浜や東京との結びつきが強い一方、これ以西は名古屋などとの結びつきが強く、文化なども徐々に変わってくると思います。
サムネイル詐欺、失礼しております笑
三保の松原に、後日その近くから撮影した富士山を合成していますが、晴天時には大体このように見えます。
~興津
211系+313系と言えばJR東海名物ですが、315系の投入により近い将来見られなくなる光景ですね。
当該区間には富士川があり、源平合戦の一つ、富士川の戦いが繰り広げられた場所として有名です。
武田信義が率いる部隊が平家の背後を衝こうと、富士川に入ったとき、それに反応した水鳥が一斉に飛び立ったそうです。
これに驚いた平家側には、多かれ少なかれの混乱があったとされています。
その一方で、平家も鳥に驚いたわけではなく、戦う準備が整っていなかったため、撤退をしただけであるという見方もあるとのことです。
~清水
この区間には清見寺というお寺があり、すぐ近くを鉄道が走っていることで知られています。
すぐ近くというより、境内内を鉄道が通っています。当時の住職が鉄道のためならと、どんどん土地を譲り渡したのが起源と言われています。
鎌倉の円覚寺もそうですが、寺社境内に鉄道を通そうなんて、かなり不謹慎ですが、元国鉄故に出来たことでしょう。
清水駅からバスで30分ほどのアクセスですが、天気が良かった際には、(詐欺をしていますが)サムネイル画像のような富士山が見え、さぞ圧巻だと思います。
バス停を降りると、神の道と称された参道があります。
神の道を抜けると、天女の羽衣伝説のある松などがあります。
松の木にそれはそれは美しい羽衣がかかっており、ある漁師はそれを持ち帰ろうとしたところ、その羽衣がないと天に帰れないと天女に頼まれたそう。漁師に天上の舞を見せることで、羽衣を返してもらい、天女は無事に天に帰ったとさ…
と、こんな感じの伝説が残っています。
海岸には5万本にも及ぶ松の木が植えられています。
そして、天気に恵まれれば、美しい富士山を拝むことが出来ます。
天気に恵まれればね笑笑
はごろもという名前のお店の茶そばと桜エビ天はおいしいですよ。
~静岡
プラモデルの大手三社があるということでも有名な静岡県。
毎年、展示会なんかも開かれています。私も一時期、軍艦のプラモデル制作にハマっていた時期があり、現地に見に行ったこともあります。
流石はプロが作った作品ということもあって、その完成度の高さに感動したものです。
いかがだったでしょうか?
静岡県は東西に長く、場所によって東京との結びつきや名古屋との結びつきがあり、文化もだいぶ違います。
ついぞのぞみに乗ると通過しがちですが、たまにはこだまやひかりで立ち寄ってみるのはいかがでしょうか?
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(7) 【鉄道唱歌再編】【三島ー沼津】
こんにちは!
本日は、三島、沼津について見ていきましょう。
ざっくりと両者の名所紹介、そして、新幹線との深い関係と言いますか、少々面白いエピソードの三本構成でいきます。
三島、沼津とも、在来線でも3時間程度で行けることから、適度な旅行にもちょうど良いと思います。
三島
まずは三島です。
三島には新幹線も通っているので、アクセスも容易です。
三島大社や三島スカイウォークが有名どころです。
両者とも中心地である三島駅からは少し遠いため、バス利用が必要になると思います。
毎回バスに乗っているとなかなかお金がかかってしまうため、東海バスから発売されているみしまるきっぷがおススメです。
1000円で三島市のエリア内でバス乗り放題になります。
コチラは柿田川湧水公園という所で、美しい湧水と、その周辺の公園の自然を楽しむことが出来ます。
ここもみしまるきっぷで行くことが可能です。
沼津
続いては沼津です。
その名の通り、海に近く、深海魚水族館などがあります。
深海魚をテーマにしているだけあり、面白い形の魚などを観察することが出来ます。
そういえば、ダイオウグソクムシは小食な上に飢餓に強いそうで笑笑
三重県の鳥羽水族館では少量の餌を食べた後、5年間も何も食べなかったそうです。
グルメとして、沼津港の近くには深海魚の網焼きを楽しめる店が何軒かあります。
形はなかなかですが、味は抜群です。
新幹線との関わり
街の規模感を考えると、東海道新幹線の駅は沼津に設ける方が良かったのでは?と思われる方もいらっしゃると思います。
なぜ、沼津には新幹線駅が設けられなかったのか…?
理由主に二つです。
一つ目は新丹那トンネルを沼津側の出口から沼津駅に線路を通そうとすると、大きくカーブすることになり、減速をしなければならなかったからです。
二つ目は、沼津という名前の通り、沼のように地盤が弱い場所があり、線路を敷設しただけでは地盤沈下の可能性があったためです。
特に、1964年のオリンピックに間に合わせることを目指していたため、当時の国鉄としても地盤の強化作業は避けたかったのでしょう。
ちなみに、三島駅は後々設置されたものですが、結果的に当時はあまり栄えていなかった三島を活気づけたそうです。
いかがだったでしょうか?
在来線でも3時間ほどで行ける三島、沼津。
両都市とも観光を意識しており、便利な切符が用意されているなど、初心者にも優しい街と言えるかもしれませんね。
世の中が落ち着いたら、リハビリに三島、沼津に行くのも面白そうですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。