日本の大動脈を担ってきた東海道本線(14) 【鉄道唱歌再編】【石山ー稲荷】
皆さんは、古文や日本史はお好きですか?
私はね、結構好きですよ。
まだまだ若造だし、学者でもないから、完璧に読み解くことは出来ないですけど、昔の人の粋な心に触れるというのはとても素晴らしいことだと思っています。
本日はそんな古文、日本史の世界でも重要な役割を担っていた石山や逢坂山、そして京都の稲荷までの区間を見ていきます。
石山
石山は滋賀県の都市の一つで、瀬田川ほとりの石山寺と瀬田唐橋が有名です。
瀬田唐橋
京都に入るためには、大きく迂回をしない限り、瀬田川を渡らなければなりません。
特に、明治時代までは、瀬田川に架かる橋がこれしかなく、その重要度は言うまでもありません。
唐橋を制する者は天下を制する、とまで言われたほど、この橋は重要なものでした。
数多くの戦乱の際に、落とされては架けなおされ、という歴史を繰り返してきています。
現在も県道が通っており、かなりの交通量があります。
石山寺
石山寺は、平安時代には、京都の清水寺や奈良の長谷寺と並ぶ、三観音として、貴族を中心にその信仰が盛んになっていました。
また、この石山寺は、多くの文学者が参拝したことでも知られ、かの紫式部も参拝をしているそうです。
何でも、寺への参籠中に源氏物語を書いたという伝説があります。
紫式部の他にも、蜻蛉日記の藤原道綱母、更級日記の藤原孝標娘なども参拝しているそうです。
逢坂山
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
逢坂山は様々な和歌に登場し、逢ふとの掛詞になっています。
まあ、古文の授業ではないので、掛詞の説明は省略しますが、一つの言葉に二つの意味を持たせる技法です。
昔の人は、おそらく山登りをして、都に入っていたので、苦労した末の出会いということで、逢坂山には特別な思い入れがあったのではないでしょうか。
滋賀県と京都府の境界は主に山ということで、湖西線沿線には、逢坂山を始め、比良の山々が軒を連ねています。
この山から琵琶湖に向かい、強風が吹くことがあります。
これを比良下ろしと言い、湖西線に多大な影響を与えます。
風が強すぎると、特急サンダーバードは米原経由になることがあり、40分程度の遅れが発生することがあります。
稲荷
さて、京都の稲荷と言えば、言わずと知れた伏見稲荷のある場所です。
現在は奈良線の駅となっていますが、実は昔は東海道本線の駅でした。
現在、東海道線の京都と滋賀の境は東山にトンネルを開通させていますが、昔はそれだけの技術がなく、東山を迂回する形で稲荷を経由し、京都へと向かっていたのです。
そんな稲荷は伏見稲荷の千本鳥居が有名ですね。
二つの鳥居があり、行きと帰りに分かれていますが、帰りは全然混んでいないので、写真なども穴場だと思います。
いかがだったでしょうか?
長く、日本の都は京都に置かれており、重要な文化財もたくさんあります。
滋賀県はその陰に隠れがちではありますが、実は歴史上かなり重要な名所があります。
京都ほど便利ではないものの、たまには滋賀に足を運んでみるのも面白いかもしれませんね。
今回もお読みいただきありがとうございました。