今日から全線復旧 常磐線について振り返る
去る2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
東北地方を中心に甚大な被害をもたらしたこの災害…
常磐線開通に際して、改めまして被災地の一日も早い完全な復興をお祈りします。
さて、今日は何の日ですか?
そう、ダイヤ改正の日です。
この改正の目玉の一つ、常磐線の仙台直通特急の復活がありますね。
本日は、山陰の記事の途中ですが、常磐線について、簡単に振り返ってみようと思います。
1 常磐線とは?
常磐線は東京都荒川区の日暮里から茨城県、福島県浜通りを経由して宮城県の岩沼駅まで至る、343.7キロの鉄道路線です。日本の鉄道の中で本線(東海道本線など)を名乗らない路線として、日本最長の路線です。
では、なぜ本線を名乗らないのか?
それは、東北本線の支線という側面があるからです。
そしてもう一つ、何で上野から仙台じゃなくて、日暮里から岩沼なの?と思われた方もいるかもしれませんね。
国土交通省、鉄道要覧によれば、複数の路線による二重戸籍ということはないのです。つまり、日暮里から上野までと、岩沼から仙台までは、いずれも東北本線に乗り入れているため、”常磐線”に限定すると日暮里ー岩沼間のみということになるのです。
2 常磐線の歴史
1889年、水戸鉄道として、水戸線とのひとつながりの路線として、水戸ー友部間で出発しました。
その後、1896年には国鉄によって田端駅に延伸されます。これは、常磐炭田から運ばれた石炭を、田端ー池袋ー新宿経由(現在の山手線)で東海道線に流すためにこのような形となりました。
その後、上野発着に変更となったため、日暮里、三河島で大きくカーブを描く路線となっています。日暮里駅からでもそのカーブが確認できますよね。
1898年には岩沼までの全線開通を果たし、東北本線のバイパス路線としての役割も担い始めます。奥羽本線側へ設定された夜行列車に線路を譲るため、仙台以北の列車は常磐線経由も多く設定されました。また、何らかの障害が東北本線に発生した場合には、北斗星など数々の夜行列車を通過させてきました。
急行ひたちや、特急ひたち、名だたる優等列車も数多く設定されいましたが、2010年前後に転機が訪れます。
それが、いわき駅を境に、特急の系統を分離するというものでした。いわき以北はE653系を転用し、以南にはE657系を導入するのが当時の計画でした。
しかし、2011年、あの災害が起きます。これによって、いわきでの系統分離の計画は白紙に戻り、常磐線は長期運休を余儀なくされました。
3 歴代の特急
歴代の、と言いつつ、私が知っている時代はスーパーひたちとフレッシュひたちの時代からです笑
停車駅を絞り、いわきまでの速達や時には仙台まで運転していたのが、E651系スーパーひたち
この電車は今は、特急草津として、高崎線で活躍しているほか、一部の時間にいわき以北の普通列車としても活躍していましたが、この改正によって普通列車運用は消滅します。
そして、勝田までの短区間で、より多くの駅に停車するのが、E653系フレッシュひたちです。
この列車も今は常磐線ではなく、新潟地区の特急いなほとして活躍しています。
常磐線にいたころは、5色、青、赤、緑、黄色、オレンジで、それぞれ沿線資源をイメージしたカラーリングで走っていました。
幼少期、上野駅あたりで、今日は何色かなって、楽しみにしてたのを覚えています。
その後、E657系が常磐線に投入され、列車名にも変更がありました。
現在のひたちが、かつてのスーパーひたち
現在のときわが、かつてのフレッシュひたち
となって、いわきや勝田までの区間で活躍してきましたが、今回新たにE657系を2編成新造しました。
JR東日本の意気込みが感じられます。
4 通勤列車としての常磐線
主に茨城県の取手駅以西、松戸、柏からの通勤を中心に、複々線の活用をしながら、運行されています。
沿線人口も多く、通勤時間は非常に混みあいます。
一つだけ、問題があるとすれば、それは常磐線は上野止まりということ。
上野で山手線や京浜東北線に乗り換えなければ、東京方面には行けないという難点がありました。そこで、2015年のダイヤ改正によって上野東京ラインを開業させ、品川までの直通を実現します。
常磐線が品川止まりなのはまた今度、話しましょう笑
5 仙台直通特急の復活
ながながと、常磐線について、見てきましたが、ついに今日全線開通を果たします。
そして、昨今、系統分離による効率化が重要視される中での、これだけの長距離列車。
ましてや、いわきで分離させるような話もあったのだから、決して震災前から需要は高くなかったはずです。
それでも、この列車を復活させたということ、JR東日本の強い意気込みと共に、沿線の起爆剤になればと思います。
9年にわたる長きにわたって運休した常磐線。
除染に、橋の架け直しに、とても大変だったはずです。それでも、復活を果たした常磐線。
本当に全線復旧おめでとうございます。