日本の大動脈を担ってきた東海道本線(5) 【鉄道唱歌再編】【藤沢ー御殿場】
本日は、再び東海道本線に戻り、藤沢から御殿場までの区間について見ていきます。
早速ですが、おや?っと思われた方もいると思います。
その辺の経緯も含め、当該区間について簡単に見ていきたいと思います。
国府津まで
…と言いつつも、国府津までそんなに紹介することがありません笑笑
この区間では、横浜を迂回してきた東海道貨物線が並走することが特徴です。
貨物線は、品鶴線(横須賀線)の武蔵小杉から分岐し、羽沢横浜国大を経由、東戸塚手前で本線と合流、しばらく複々線が続きます。
去るダイヤ改正で、東海道線のライナー系統の電車は特急湘南へと変わりましたが、新宿方面の電車を中心に、東海道貨物線を経由する電車には引き続き乗ることが出来ます。
茅ケ崎は相模線との分岐駅になっており、神奈川県の橋本、東京の八王子までを結んでいます。
相模線電化記念に投入された205系が活躍していますが、最近房総に投入したE131系が投入されるとか、されないとか…
モノが205系ということで、いつ引退してもおかしくはないと思うので、記録はお忘れなきように!
さて、平塚を過ぎると大磯海岸で有名な大磯につきます。
大磯は、海水浴の始まりの地ということで有名です。
国府津から
最初に答えを言ってしまうと、昔は熱海ー函南の丹那(たんな)トンネルを開削するだけの技術がなかったため、丹那を迂回する形で開通した現在の御殿場線が東海道本線でした。
しかし、この区間は自然災害の影響を受けやすい側面があり、幹線でもある東海道本線としては不適切ということで、後に小田原、熱海を経由するルートに変更されました。
現在、御殿場線はJR東海が管理しており、2両などの短編成の電車が活躍しています。
ちなみに、御殿場線の方も、勾配などが厳しかったそうで、昔は国府津、沼津で補助機関車も連結していたようです。
沿線には川や崖も多く、多かれ少なかれ自然災害の被害は受けやすいという予想はつきます。
とはいうものの、現在の技術の進歩や富士山を見ることが出来る路線として、小田急線との直通運転なども行っています。
小田急新宿から新松田ー松田の連絡線を活用し、御殿場まで運転される特急ふじさんなどがあります。
御殿場を出ると、進路を南へと変え、一路沼津を目指します。
現在は、建物の影響があるのか、詳しくは分かりませんが、昔は沼津に近づくと海風が吹いてきたそうです。
そして、三島(現下土狩付近)を経由し、沼津に至ります。
いかがだったでしょうか?
それにしても、技術の進歩とは凄いものですねぇ…
特に丹那トンネルは多大な犠牲も払われている難所でも有名です。
先人には本当に感謝ですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(4) 【鉄道唱歌再編】【横須賀】
皆さん、こんにちは。
早速ですが、横須賀線をご利用されたことはありますか?
横須賀線は、東海道線の支線となっており、大船で本線から分岐します。
大船、鎌倉、逗子、横須賀を経由し、久里浜まで至る路線となっています。
当路線の背景としては、横須賀軍港への物資輸送を目的とした軍事路線として開業しました。
そのような事情もあり、鎌倉の寺社境内にも線路が引かれていることは大きな特徴と言えます。
横須賀駅を降りると、すぐ目の前には横須賀軍港が広がっている一方、市の繁華街は京急の横須賀中央駅周辺である面からも、当線が軍用路線として開業したことは容易に想像がつきます。
私は、鉄道ほどではありませんが、軍事についても多少の心得があるつもりなので、今回はその辺をメインに見ていけたらと思います。
記念艦三笠
日本海軍史に残る重要な艦艇の一つに戦艦三笠があると思います。
コンクリートで固定されており、動くことは一切できませんが、当時の姿をとどめる艦として、世界三大記念艦としても知られています。
特に、三笠は世界で唯一現存する前弩級戦艦ということで、非常に価値が高いものです。
弩級戦艦とは、イギリスで建造された、従来の戦艦よりも大型であったドレッドノートと同等の戦力を有する戦艦を指します。
頭文字の当て字から弩級と称されます。
尚、その後は超弩級戦艦、超々弩級戦艦などと称されていきます。
艦の内部にも入ることが出来、狭く複雑な艦内の見学や、ダミーではあるものの砲塔の近くにも行くことが出来ます。
横須賀軍港巡り
続いては、軍港巡りです。
コチラは、小型の船に乗って横須賀軍港内を遊覧する内容で、1時間ほどです。
アメリカの原子力空母や、海上自衛隊の艦艇などを見学できます。
当然、どの艦艇がどこにいるか等については非公開のため、何を見れるかは当日の運次第となります。
太平洋西部の安全や、オセアニア、アジア諸国等への防衛などを目的に、アメリカ国外では唯一原子力空母が配属されています。
現在のアメリカ空母は歴代の大統領に由来している艦が多いですが、日本には太平洋戦争時に活躍した人物の名を冠する艦の入港は避けるなどの配慮がされています。
横須賀配備になったことのある空母としては、通常推進のミッドウェイ、インディペンデンス、キティ・ホーク、原子力推進のジョージ・ワシントン、ロナルド・レーガンなどがあります。
尚、アメリカ空母が停泊する第6ドックは、かつて戦艦大和の3番艦である信濃を建造したドックでもあります。
軍港内を一通り航海するので、海上自衛隊の護衛艦や、旧日本海軍時代からの施設など、様々なものを見学できます。
正直、こんなものまで見せちゃっていいの!?というものも遠いところながらも見ることが出来たりするので、満足度は高いと思います。
特に、原子力空母はこの辺では横須賀にしかいないので、非常に良い経験になると思います。
海上自衛隊 一般公開
昨今はテロ対策を理由に、アメリカ軍の公開はほとんどありませんが、海上自衛隊は割と定期的に一般公開をしていたりします。
これは、南極の海も航海できるように特殊な造りとなっている砕氷艦しらせです。
艦内にも入ることが出来、計器なども見せてもらえます。
一般公開の日に、三笠とともに見学すると、新旧の違いなんかも発見できるかもしれませんね。
私が行ったときには、潜水艦の上を歩くことも出来ました。
ちなみに、緑のカバーで覆ってあるのは、その箇所の厚さが国家機密だからです。
潜水艦は、その厚さが重要になってくるため、正確な数値の割り出しなどは避けなければなりません。
ちなみに、自衛隊の一般公開は無料で見学することが出来ます。
いかがだったでしょうか?
旧日本海軍時代から重要な役割を担ってきた横須賀。
現在でもアメリカの空母が配置されるなど、アジア、太平洋地域の重要な拠点だと思います。
新旧の艦艇を見学することも出来るので、楽しいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(3)【鉄道唱歌再編】【大船~鎌倉】
歌詞自体には鎌倉を歌っている部分が多く、メイン記事としては鎌倉の紹介になります。
まずは簡単に大船駅について…
大船止まりの電車は根岸線を除いて多くないものの、本線と横須賀線の分岐駅であるなど、東海道線の中では比較的重要な駅だと思います。
何回もこのブログで紹介していますが、おそらく日本で大船にしかない、噂では4000万円する、10段の電光掲示板です。
横須賀、総武快速方面、東海道方面、湘南新宿ライン経由北行き、上野東京ライン経由北行きなど、様々な方面の電車を一度に把握することが出来る優れものです。
それでは、本題の鎌倉を見ていきます。
ざっくり、北鎌倉周辺、鎌倉駅周辺、由比ヶ浜周辺の三か所が鎌倉のメイン観光スポットとなります。
北鎌倉
まずは北鎌倉エリアから見ていきます。
そもそも横須賀線が軍港への物資輸送目的に敷設された路線ということもあり、円覚寺の境内にも線路が引かれています。
明治時代、軍事のため、そして国鉄という、三拍子揃ったからこそ、出来たことだと思います。
今やろうとしたら盛大な批判が起こることでしょう。
源氏、北条氏など、名だたる歴史人物も帰依していたとされ、鎌倉の歴史を今に伝える重要な文化財となっています。
鎌倉
さて、建長寺をさらに南下していくと、鎌倉エリアの鶴岡八幡宮に出ます。
ただ、距離的にはかなりあるので、路線バスなどを有効に活用しながらの観光が良いと思います。
おそらく、鎌倉で最もメジャーな観光地ではないでしょうか。
鎌倉駅前から伸びる小町通りを抜けた先でもあるので、アクセスも非常に容易です。
現在は社会的な風潮もありますが、平時は進むのも一苦労なほど混んでいます。
しかし、様々な店舗があるので、お買い物好きの方には楽しいと思います。
小町通りを抜け、鶴岡八幡宮の階段を登って本殿にたどり着いたら、ぜひ振り返ってみて下さい。
鳥居など共に鎌倉の街が一望できます。
この銀杏の木も鶴岡八幡宮境内で、鎌倉幕府三代将軍源実朝を暗殺するために公暁が身を潜めていたとされる伝説があります。
このことから、隠れ銀杏とも呼ばれていたそうですが、樹齢を考えると当時は公暁が隠れられるほど大きくはなく、そもそもこの話自体も江戸時代になってから作られたとされています。
残念ながら昨今の台風で折れてしまったようですが、その幹の太さから、大変立派なものです。
由比ヶ浜
かの有名な鎌倉大仏や由比ヶ浜を見に行くには江ノ島電鉄を利用します。
これがまた平時には、通勤電車並みに混むんですよねぇ…
さて、大仏へのアクセスは長谷駅から徒歩となります。
奈良のように覆い堂がない理由は、建設時にはあったものの、地震による倒壊や津波による流出があり、以降作られていないとのことです。
発掘調査などによっても、覆い堂があったことは証明されています。
覆いがないので、緑青という錆びが発生していますが、鎌倉大仏と言えば緑色というイメージに一役買っていると思います。
また、鎌倉と言えば海も有名ということで、由比ヶ浜、七里ヶ浜などの有名な海岸などがあります。
街歩きでおなかが減ったら…
小町通りや各観光地周辺に様々な店が軒を連ねているので、食べ歩きなどもしてみてほしいところですが…
私からはからりを紹介しておきます。
本格的な天ぷらながらもリーズナブルな価格なので、昼食として行ってみるのが良いと思います。
いかがだったでしょうか?
東京からのアクセスが抜群な鎌倉。
今回紹介した3つのエリアについても、1日あれば十分回ることが出来ますし、プラスアルファでさらに別の寺社仏閣を見ることも可能だと思います。
人気の観光地として、地元住民の方には、ご迷惑をお掛けすることにもなってしまいますが、しっかりマナーを守り、楽しい鎌倉観光をしてみてはいかがでしょう。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(2)【鉄道唱歌再編】【東京~横浜】
それでは、本日より鉄道唱歌、東海道本線編を詳しく見ていきたいと思います。
尚、鉄道唱歌の歌詞委細については動画等を活用してくださいませ(訂正鉄道唱歌を使用しています)。
東京ー品川
鉄道好きなら、知らぬ人はいないであろう鉄道唱歌。
この曲は当初は地理教育を目的として作られた曲であるということは案外知られていません。
汽笛一声新橋を 早我が汽車は離れたり~~
この出だしはあまりに有名ですね。
歌詞の通り、東海道線は現在の汐留(新橋)~桜木町(横浜)間に初めて開通しました。
ちなみに現在、東海道線の起点は東京に移され、東京駅に0キロポストが設置されています。
赤穂浪士として有名な四十七士の墓場となっています。
江戸城中、吉良義央(きらよしひさ、よしなか)に切りつけたとし、切腹となった播州赤穂、藩主の浅野長矩(ながのり)は切腹に処されます。その敵討ちとして、浅野家の家臣が吉良家に攻め入ったというのが概要のようです。
難しすぎて私にはよく分からないので、他サイト等も参照していただけますと幸いです。
台場ー東神奈川
歌詞3番には台場について歌われています。
当時は台場のさらに奥、対岸に当たる千葉県の山々が見えたと歌われています。
現在はビル等が立ち並び、山々は確認できません。
4番には大森、東神奈川などが歌われます。
考古学者のモースが車窓から大森貝塚の発見をし、ここから日本の考古学が始まったとされています。
東神奈川からは、横浜線が分岐し、八王子とつながっています。
国鉄時代は、数少ない黒字路線だったにも関わらず、新車投入がされないなど散々な扱いでしたが、現在はE233系が活躍しています。
横浜
5番では横浜が登場します。
横浜と言えば、言わずと知れた港町ですね。
実は、横浜港としての歴史は深くなく、1859年からです。
当時の横浜村がペリー来航を機に開港されることが決定されます。
当時、最初は神奈川湊を開港地として検討していたようですが、神奈川は宿場町として栄えており、攘夷派への影響などを考慮したそうです。
万が一にも武士が外国人に切りつけることがあってはいけない等の配慮から、小さな漁村だった横浜が開港地として選ばれたそうです。
流石に諸外国からも不満があったようですが、江戸幕府は横浜村も神奈川の一部だとゴリ押したとか。
いかがだったでしょうか?
鉄道最初の地として、また開国の歴史を知る場所として、アクセスも良い横浜。
横浜港開港時は、なんと漁村だったことは、今のイメージからは想像もつきませんね。
グルメもおいしいし、見どころも多いので、一日丸々使っての観光も面白そうですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(1)【鉄道唱歌再編】【概括】
1872年、新橋ー桜木町間に日本初の鉄道が開業しました。
これが後の東海道本線です。
本日は、日本初の鉄道として開業し、長く東名阪の大動脈を担ってきた東海道本線を見てみたいと思います。
鉄道要覧によれば、東海道本線は、東京から神戸を結ぶ鉄道路線とされています。
本線を名乗る路線として、日本で二番目の長さを誇ります。(1位は山陰本線)
JR東日本
東京の路線ということで、通勤路線としての、また伊豆方面への観光路線としての2つの顔を持ちます。
最長15両編成で運転されており、これは日本最長の在来線です。(貨物列車は除く)
開業当初は新橋(現在の汐留)を始発としていましたが、東北本線と接続するために東京まで延伸されました。
サラリーマンの街として名高い新橋駅前にはSLが展示され、鉄道の始まりの地であることが感じられます。
品川、川崎を過ぎた列車はいよいよ横浜へと到着します。
現在の桜木町駅のあたりに、日本初の鉄道の終点が置かれました。
東海道線はその後も線路を伸ばし、戸塚、大船、藤沢、茅ケ崎、国府津などを経由しています。
当初の東海道線は、国府津から御殿場線を経由し、沼津に至るというルートを取っており、小田原や熱海は経由していませんでした。
現在は小田原、熱海経由の経路が東海道本線となっており、熱海駅でJR東日本とJR東海の管轄が変わります。
JR東海
続いて、JR東海管轄のエリアです。
東海道線を管轄する三社のうち、JR東海が最も長い距離を持っています。
沿線主要都市としては、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋、岐阜、米原などがあります。
東海エリアの主要在来線として、地域の足となっています。
ただ、やはり東京ほどの需要がないのが現状で、名古屋地区でも9両程度での運転となっています。
特にすごいのは、言わずと知れた熱海駅ですね。
東京から15両編成の電車が来たのに、熱海から先は3両編成なんてこともよくあります。
また、静岡エリア(熱海~豊橋間)は、ロングシート地獄で有名ですね。
乗りとおせば3時間くらいかかるにも関わらず、このエリアで活躍する車両はロングシートしかありません。
JR西日本
米原から終点である神戸までがJR西日本の管轄となっています。
このエリアは新快速と呼ばれる、特急並みの速さの快速電車が運転されています。
沿線の主要都市としては、大津、京都、高槻、大阪、尼崎、芦屋、神戸などがあります。
関西は私鉄王国とも呼ばれ、JRに対して多くの私鉄が並行しています。
そのため、JR西日本ではスピードアップなどに積極的に取り組み、乗客を増やしてきました。
ちなみに、神戸駅は、書類上は東海道本線の終点かつ、山陽本線の起点となっていますが、運行上で特に重要な駅ではないため、神戸止まりの電車はありません。
国鉄時代
東海道新幹線開業前は、正真正銘、日本の大動脈として、昼夜を問わずに多くの列車が行き来していました。
東京ー大阪を約7時間で結んだ特急こだまを筆頭に、数多くの列車が運行されていたため、東海道本線の線路容量は限界を迎えていました。
そこで、抜本的な輸送力改善を目的として、1964年からは大量、高速輸送の役割を新幹線に任せ、地域輸送や貨物列車の運行を中心に行うようになります。
いかがだったでしょうか?
おそらく、物足りないなと思った方が多いと思います。
次回以降、詳しく運行状況や観光地、グルメなどを紹介していきたいと思っています。
鉄道唱歌旅の再編の側面も兼ねており、全16回を予定しています。
今回もお読みいただきありがとうございました。
【いつもありがとうございます】200記事達成御礼!!
みなさま、こんにちは!
なんと!
この記事は記念すべき当ブログ200記事目です!!
開設から約2年、色々なことがありましたが、今もこうして様々な方にお読みいただけていること、ありがたい限りです。
本当にありがとうございます!!
200記事目にふさわしい記事を書きたいところではありますが、見事に何も浮かばないので、独断と偏見で選ぶベストショット200枚貼ります笑笑
時々、ネタとかふざけた写真も入れるかも…?
安直ではありますが、見て頂けたら幸いでございます。
PCにまとめてあるファイルからランダムに選んでいきます!
3 激レアE655系 (東京駅 総武地下ホーム)
10 神のましますところ (伊勢神宮 内宮)
16 伊豆の海 (伊豆急行線内某所、黒船電車より)
19 朝の京都駅 (東海道本線 京都駅)
20 イナリのヨミチ (伏見稲荷大社)
21 煌めく嵐山駅 (嵐電 嵐山駅)
23 雨の広電 (広電広島駅)
24 朝もやの瀬戸内海 (グランドプリンスホテル広島)
25 夕暮れの瀬戸内海 (同上)
26 満潮 (宮島 厳島神社)
27 雲海 (ANA 羽田ー高知)
28 昼から駄弁ろうぜ (高知 ひろめ市場)
29 これからの日本も大丈夫ぜよ (桂浜 坂本龍馬像)
30 青い海 (桂浜)
31 ミライの駅 (高輪ゲートウェイ駅)
34 商売繁盛祈願 (城崎温泉)
37 800段の絶景 (山形県 山寺)
38 時代の進歩 (新潟駅 特急いなほと新幹線の対面乗り換え)
39 異空間 (カプセルホテル)
40 前面展望 (本四備讃線某所)
42 世界で唯一 ガラスの灯台 (同上)
43 巨大な渦潮 (鳴門海峡)
45 たぶん菜の花 (予土線 江川崎駅)
47 100年の大工事 (道後温泉)
48 世界都市 TOKYO (渋谷スカイ)
49 揺れますねぇ… (三島スカイウォーク)
50 ダイオウグソクムシ (沼津 深海魚水族館)
52 おかえり (常磐線全線復旧 品川駅)
53 待ちわびた日常 (常磐線 仙台駅)
54 交通の要所 (新潟駅万代口バスターミナル)
63 スー〇がずんだ餅に見えた人、手挙げなさい (仙台駅構内)
64 鉄道の縮図 (仙石線 松島海岸駅)
65 仙台駅の屋上って駐車場なんですね! (仙台 エスパル高層階)
67 トンネルを抜けるとそこは雪国だった (上越線 土樽ー越後中里)
68 THE 温泉 (草津温泉)
70 みんな大好き旧型客車 (同上)
71 オシンコシンの滝 (北海道 知床への道中)
72 木々の谷間を抜けて… (知床)
73 大自然 (同上)
74 この道どこまで直線なんですか…? (北海道某所)
75 海の見える駅 (鶴見線 海芝浦駅)
77 古き良き日本の… (岡山 後楽園)
80 干潮 (宮島 厳島神社)
81 海の街 オノミチ (尾道 瀬戸内海某所)
82 平和を祈ります (広島 原爆ドーム)
87 鈍行の旅路 (同上)
88 どうか、この先も平和を… (長崎 平和公園)
89 神の道 (静岡 三保の松原)
92 近江の海 (彦根城から見る琵琶湖)
93 比良下ろしから電車を守れ! (湖西線 暴風対策と比良の山々)
94 ~千本鳥居を駆け抜けて~ (伏見稲荷 千本鳥居)
95 たなばたさま (京都 鴨川湖畔)
97 KOBE (神戸 ポートタワー)
98 先人の努力 (東武浅草駅)
99 東京スカイツリー (とうきょうスカイツリー駅より)
101 鉄分補給 (奈良公園)
102 日暮れ (東大寺)
103 いつかは乗りたい (四季島 上野駅)
104 荘厳 (日光 東照宮)
105 江戸時代 (日光江戸村)
108 旅するカモメ (津軽海峡フェリー)
109 幕末の史跡 (五稜郭タワー)
そろそろ疲れてきましたかね…?
ここから先は少し趣向を変えて、みんな大好き、食べ物の写真を貼っていきます!
見る時間には気を付けてくださいね笑笑
112 ヌードル (サフィール踊り子食堂車)
113 車内で酒盛り (サフィール踊り子 個室)
117 ひつまぶし (名古屋 〇屋)
118 味噌カレー牛乳ラーメン (青森市 大西)
121 麺や 麺五郎 (新潟駅前)
122 金目の塩焼き駅弁 (伊豆急下田駅)
123 横浜ラーメン (家系総本山 吉村家)
125 ぜんざい (中村藤吉本店 宇治本店)
126 濃茶 (同上)
127 牛かつ (勝牛 京都ヨドバシカメラ店)
128 湯葉定食 (嵯峨とうふ 稲)
131 同上
132 あなご茶漬け (広島駅 駅ナカ 心酔)
133 揚げ紅葉 (宮島 参道)
134 カツオのたたき、あおさのりの天ぷら、クジラの竜田揚げ (ひろめ市場)
135 サバの刺身 (敦賀 うおさき)
137 割り子そば (出雲大社 えにし)
138 カニの海鮮丼とハタハタのから揚げ (鳥取 だいせん)
139 かにめし駅弁 (山陰本線 キハ40にて)
140 但馬牛駅弁 (城崎温泉駅)
141 米沢牛 牛鍋 (牛鍋おおき)
143 オリーブ牛×ワイン (高松 丸亀町アーケード アミーゴ森崎)
144 サムライラーメン (高知県南国市 國丸)
145 カツオのたたき (明神丸)
147 坊ちゃん団子 (道後温泉アーケード)
148 松山鯛めし (道後温泉 秋嘉)
149 深海魚の塩焼き (沼津 しんちゃん)
150 マグロのカマトロ丼 (三島 魚がし鮨)
152 牛タン定食 (仙台 利久)
153 卵かけご飯 (羽田空港国内線ターミナル うまや)
154 上州地鶏定食 (けやきウォーク前橋 登利平)
155 鳴子そば (鳴子温泉 ふじや食堂)
156 新潟ののどぐろ (新潟 店舗不詳)
160 笹かま焼き (松島市)
161 松島の牡蠣 (同上)
162 仙台牛ステーキ (エスパル 伊勢屋)
165 大漁丼&カキの天ぷら (長岡 富寿司)
166 地獄谷ステーキ (草津温泉 店名不詳)
167 ホルモン焼き (北見 とよ七)
168 塩で食べる信州そば (松本市 佐々木)
169 山賊焼き (松本駅 から揚げセンター)
170 ごぼう天うどん (博多 大地のうどん)
171 ちゃんぽん (長崎 店舗不詳)
172 貴族の食事 (出島 オブジェです笑)
173 そばと天ぷら (鎌倉 からり)
174 茶そばと桜エビ天 (三保の松原 はごろも)
175 コーヒーとパン (東横イン蒲田一号店 朝食)
176 大和牛まぶし (近鉄奈良 雷神)
177 湯葉定食 (日光 店舗不詳)
178 宇都宮餃子 (宇都宮 店舗不詳)
181 メダカの佃煮 (新潟 店舗不詳)
182 スープカレー (札幌駅 天馬)
183 イカの踊り丼 (函館 たびじ)
184 味噌ラーメン (札幌 地下道 青竜)
185 山菜そば (高尾山 高橋家)
186 日本一のつけ麺 (松戸 とみ田)
187 ブリの漬け丼 (糸魚川 多喜)
188 徳島ラーメン (徳島 宝ラーメン)
189 肉うどん (高松駅 駅うどん)
190 大山鶏炭焼き (大山 京都ヨドバシカメラレストラン街)
ふぅ…
とんでもない飯テロ、心よりお詫びいたします笑
しかし、ぴったり200枚に調整するのは難しいですね笑
最後の10枚は、鉄道ベストショットでしめたいと思います。
191 新幹線から見る211系
192 千葉駅を通過するN'EX
193 相模湖を通過するE257系
194 東京を目指す山陽新幹線
195 !?!?!?!?
196 根府川駅
197 国鉄の旅
198 快速海里
199 石北本線
200 これからも頑張ろう、JR
いかがだったでしょうか?
独断と偏見で選ぶ写真シリーズ、お楽しみ頂けましたでしょうか?
早く好きなところに自由に行けて、好きなものが食べられる日々が戻ってくるといいですね。
これからも当ブログ、続けていきますので、末永くよろしくお願いします。
☆何番の写真が良かったとかコメントくれるとすごく喜びます笑
良かったら教えてください。
今回もお読みいただきありがとうございました。
地下鉄のナゾ【拡幅車体が走らない理由】【前面に扉がついている理由】
地下鉄。
それは、地面の下のトンネルを走る鉄道です。
日本では浅草ー上野に開業した銀座線が最初であり、また東洋で初めての地下鉄道であったことでも知られています。
現在は、東京を中心に様々な大都市の人々の足となっています。
そんな地下鉄ですが、実は様々な制約のもとで運転されているのです。
拡幅車体が走らない理由
初めに、幅の広い車両(拡幅車体)について見ておきます。
JRでは、一編成当たりに乗せられる乗客を少しでも増やすため、首都圏を中心に拡幅車体と呼ばれる車両が活躍しています。
車体の上部から下部に向かって湾曲していると言いますか、少々曲がっているのが確認できると思います。
このおかげで一両あたりの定員を増やすことに成功しています。
ところが、地下鉄や、地下鉄に直通する車両にはこのような構造の車両が走っていません。
地下鉄に拡幅車体が走っていない理由は、ずばり、工費を抑えるためです。
当然、地下鉄の開業には穴を掘る必要があるわけですが、穴の直径が大きければ大きいほど、掘削費は高くなります。
そのため、東京メトロ並びに直通運転する私鉄などの車両には拡幅車体は活躍していません。
例えば、日比谷線と直通運転を行っている東武鉄道70090系もその一例です。
前面に扉がある理由
続いて、前面扉がついている理由を見ていきます。
このように地下鉄車両やそれに準ずる車両には必ず前面に扉のようなものがついています。
実際、これは扉で、非常時に使われるものです。
地下鉄を作る上で、車体とトンネルの壁の間に最低400ミリ以上の空間を確保できない場合には、前面に非常用の扉を設けることが法律で定められています。
掘削費を抑えるためにギリギリに作られている地下鉄では、40センチ以上の幅を確保できないため、必ず非常用扉を前面に設けています。
つまり、逆に言えば、40センチ以上の空間があれば、非常用扉を設ける必要はないことになります。
実は40センチ以上に基準が変わったのは割と最近のことで、それ以前は地下を走行する場合には前面扉を設けるか、拡幅車体は入れないことが義務でした。
特にE217系は法律改正が製造時期に重なったことから、ある時期を境に前面扉はダミーとなっています。
同様に京葉線も、当時は法律の問題をクリアできなかったことから、205系などが活躍していましたが、改正以降は拡幅車体のE233系が活躍するようになりました。
いかがだったでしょうか?
地下鉄は、工費を抑えたかったり、非常時に逃げ場が少ないことから、拡幅車体を入れることが出来ません。
地下鉄車両を観察してみるのも面白いですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。