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日本の大動脈を担ってきた東海道本線(2)【鉄道唱歌再編】【東京~横浜】

それでは、本日より鉄道唱歌東海道本線編を詳しく見ていきたいと思います。

 

尚、鉄道唱歌の歌詞委細については動画等を活用してくださいませ(訂正鉄道唱歌を使用しています)。

 

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東京ー品川

 

鉄道好きなら、知らぬ人はいないであろう鉄道唱歌

この曲は当初は地理教育を目的として作られた曲であるということは案外知られていません。

 

 

汽笛一声新橋を 早我が汽車は離れたり~~

この出だしはあまりに有名ですね。

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歌詞の通り、東海道線は現在の汐留(新橋)~桜木町(横浜)間に初めて開通しました。

 

ちなみに現在、東海道線の起点は東京に移され、東京駅に0キロポストが設置されています。

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鉄道唱歌に最初に紹介される歴史名所は泉岳寺です。

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赤穂浪士として有名な四十七士の墓場となっています。

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江戸城中、吉良義央(きらよしひさ、よしなか)に切りつけたとし、切腹となった播州赤穂、藩主の浅野長矩(ながのり)は切腹に処されます。その敵討ちとして、浅野家の家臣が吉良家に攻め入ったというのが概要のようです。

難しすぎて私にはよく分からないので、他サイト等も参照していただけますと幸いです。

 

台場ー東神奈川

 

歌詞3番には台場について歌われています。

当時は台場のさらに奥、対岸に当たる千葉県の山々が見えたと歌われています。

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現在はビル等が立ち並び、山々は確認できません。

 

4番には大森、東神奈川などが歌われます。

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考古学者のモースが車窓から大森貝塚の発見をし、ここから日本の考古学が始まったとされています。

 

東神奈川からは、横浜線が分岐し、八王子とつながっています。

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国鉄時代は、数少ない黒字路線だったにも関わらず、新車投入がされないなど散々な扱いでしたが、現在はE233系が活躍しています。

 

横浜

 

5番では横浜が登場します。

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横浜と言えば、言わずと知れた港町ですね。

 

実は、横浜港としての歴史は深くなく、1859年からです。

当時の横浜村がペリー来航を機に開港されることが決定されます。

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当時、最初は神奈川湊を開港地として検討していたようですが、神奈川は宿場町として栄えており、攘夷派への影響などを考慮したそうです。

万が一にも武士が外国人に切りつけることがあってはいけない等の配慮から、小さな漁村だった横浜が開港地として選ばれたそうです。

 

流石に諸外国からも不満があったようですが、江戸幕府は横浜村も神奈川の一部だとゴリ押したとか。

 

 

いかがだったでしょうか?

 

鉄道最初の地として、また開国の歴史を知る場所として、アクセスも良い横浜。

横浜港開港時は、なんと漁村だったことは、今のイメージからは想像もつきませんね。

 

グルメもおいしいし、見どころも多いので、一日丸々使っての観光も面白そうですね。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。