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【交通の難所】信越本線 碓氷峠越え 横軽協調運転とは??

皆さんは信越本線を利用したことはありますか??

日ごろの足として、使っている方も多いと思います。

 

そんな信越本線、どこからどこまでを走っているのでしょうか?

信越本線は、高崎横川篠ノ井長野直江津新潟に走る路線です。

 

は?って感じですよね?

今回は、碓氷峠の歴史とともに信越本線分割の背景を見ていきます。

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信越本線分割の歴史

まずは本来の信越本線について触れます。

本来の信越本線は、冒頭で触れた区間に、横川軽井沢篠ノ井長野妙高高原直江津区間が加わり、トータルで高崎ー新潟を結ぶ路線でした。

 

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しかし、北陸新幹線の開業に伴って、並行在来線となった信越本線はJRから分離となります。

軽井沢ー篠ノ井、長野ー妙高高原については、長野県が運営するしなの鉄道に、妙高高原から直江津新潟県が運営するえちごトキめき鉄道に継承されています。

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また、今回のメインの区間である横川ー軽井沢については、廃線となりました。

その理由などを次に見ていきましょう。

 

碓氷峠について

ご存じの方も多いと思いますが、碓氷峠と言えば交通の難所。

 

それは鉄道にとっても例外ではなく、66.7‰という急な勾配が碓氷にはありました。

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それだけの坂を普通の電車だけで登るのは難しいということで、特殊な機関車を用いて峠越えを行っていました。

1963年までは、登山鉄道などに利用されるラックレールを用いた運転を行っていました。

 

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二本の線路の間にギザギザのレールをもう一本敷設し、坂を登れるようにしたものです。

ちなみにラックレールには何種類かあるのですが、日本ではその一種であるアプト式しかない関係で、アプト式=ラックレールを用いた走行方式のイメージが強いですが、それは違います。

 

ED42などの機関車を4両一組で、使用していました。

 

 

さて、1963年まではラックレールで山を登っていた信越本線でしたが、本数が増えるにつれ、不都合が生じていたため、新線と呼ばれる新たな線路を敷設しました。

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新線開通以降は、EF63機関車を連結し、軽井沢方面への電車を後ろから押し、横川方面への電車は前でブレーキをかけながら運行していました。

 

更に時代が進み、1997年に北陸新幹線長野まで暫定開業します。

ほとんどの区間第三セクター化されますが、当該区間は維持するにも大変な費用が掛かるということで、廃線となりました。

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現在はJRバス関東が、横川~軽井沢で代行バスを運行しています。

 

横軽協調運転

さて、この区間でかつて行われていた旅客列車と機関車の協調運転を少し見てみましょう。

尚、横軽というのは、当区間両端の横川駅、軽井沢駅の頭文字から取ったものです。

信越本線旧線

旧線では以下のように、線路の間にもう一本、ギザギザのラックレールを引いて走行しました。

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ギザギザのレールと機関車の歯車をかみ合わせ、摩擦や抵抗などを大きくするイメージです。

機関車はED42などが使われ、3機+旅客列車+1機などの組み合わせが一般的でした。

信越本線新線

さて、新線開通以降は、EF63機関車を2機繋ぎ、上下線ともに横川側に機関車を繋げて運行しました。

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軽井沢方面への列車を最後尾から押し上げ、横川方面への列車は最前でブレーキをかけて坂を下るイメージです。

峠の釜めし

横川駅と言えば、日本一有名な駅弁、おぎのや峠の釜めしのあるところです。

新線、旧線運用時は横川で機関車の連結、解結作業があった関係で、長時間の停車がありました。

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峠の釜めし(定食) 高崎駅にて

その停車時間には売り子が声を張り上げて駅弁を売っていたそうです。

 

尚、一般客の中には、横川での長時間停車は釜めしを買いに行く時間だと思っていた方もいたとか。

 

 

 

 

いかがだったでしょうか?

 

今や乗ることは不可能ですが、鉄道として非常に珍しく、その価値も高かった信越本線横川―軽井沢。

 

しかし、線路の一部は観光用に保存されたり、横川機関区の跡地は鉄道文化むらに転用されたり、有効活用されています。

 

次回は鉄道文化むらの紹介と、当該区間をもう少し詳しく見ていきます。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。