日本の大動脈を担ってきた東海道本線(2)【鉄道唱歌再編】【東京~横浜】
それでは、本日より鉄道唱歌、東海道本線編を詳しく見ていきたいと思います。
尚、鉄道唱歌の歌詞委細については動画等を活用してくださいませ(訂正鉄道唱歌を使用しています)。
東京ー品川
鉄道好きなら、知らぬ人はいないであろう鉄道唱歌。
この曲は当初は地理教育を目的として作られた曲であるということは案外知られていません。
汽笛一声新橋を 早我が汽車は離れたり~~
この出だしはあまりに有名ですね。
歌詞の通り、東海道線は現在の汐留(新橋)~桜木町(横浜)間に初めて開通しました。
ちなみに現在、東海道線の起点は東京に移され、東京駅に0キロポストが設置されています。
赤穂浪士として有名な四十七士の墓場となっています。
江戸城中、吉良義央(きらよしひさ、よしなか)に切りつけたとし、切腹となった播州赤穂、藩主の浅野長矩(ながのり)は切腹に処されます。その敵討ちとして、浅野家の家臣が吉良家に攻め入ったというのが概要のようです。
難しすぎて私にはよく分からないので、他サイト等も参照していただけますと幸いです。
台場ー東神奈川
歌詞3番には台場について歌われています。
当時は台場のさらに奥、対岸に当たる千葉県の山々が見えたと歌われています。
現在はビル等が立ち並び、山々は確認できません。
4番には大森、東神奈川などが歌われます。
考古学者のモースが車窓から大森貝塚の発見をし、ここから日本の考古学が始まったとされています。
東神奈川からは、横浜線が分岐し、八王子とつながっています。
国鉄時代は、数少ない黒字路線だったにも関わらず、新車投入がされないなど散々な扱いでしたが、現在はE233系が活躍しています。
横浜
5番では横浜が登場します。
横浜と言えば、言わずと知れた港町ですね。
実は、横浜港としての歴史は深くなく、1859年からです。
当時の横浜村がペリー来航を機に開港されることが決定されます。
当時、最初は神奈川湊を開港地として検討していたようですが、神奈川は宿場町として栄えており、攘夷派への影響などを考慮したそうです。
万が一にも武士が外国人に切りつけることがあってはいけない等の配慮から、小さな漁村だった横浜が開港地として選ばれたそうです。
流石に諸外国からも不満があったようですが、江戸幕府は横浜村も神奈川の一部だとゴリ押したとか。
いかがだったでしょうか?
鉄道最初の地として、また開国の歴史を知る場所として、アクセスも良い横浜。
横浜港開港時は、なんと漁村だったことは、今のイメージからは想像もつきませんね。
グルメもおいしいし、見どころも多いので、一日丸々使っての観光も面白そうですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
日本の大動脈を担ってきた東海道本線(1)【鉄道唱歌再編】【概括】
1872年、新橋ー桜木町間に日本初の鉄道が開業しました。
これが後の東海道本線です。
本日は、日本初の鉄道として開業し、長く東名阪の大動脈を担ってきた東海道本線を見てみたいと思います。
鉄道要覧によれば、東海道本線は、東京から神戸を結ぶ鉄道路線とされています。
本線を名乗る路線として、日本で二番目の長さを誇ります。(1位は山陰本線)
JR東日本
東京の路線ということで、通勤路線としての、また伊豆方面への観光路線としての2つの顔を持ちます。
最長15両編成で運転されており、これは日本最長の在来線です。(貨物列車は除く)
開業当初は新橋(現在の汐留)を始発としていましたが、東北本線と接続するために東京まで延伸されました。
サラリーマンの街として名高い新橋駅前にはSLが展示され、鉄道の始まりの地であることが感じられます。
品川、川崎を過ぎた列車はいよいよ横浜へと到着します。
現在の桜木町駅のあたりに、日本初の鉄道の終点が置かれました。
東海道線はその後も線路を伸ばし、戸塚、大船、藤沢、茅ケ崎、国府津などを経由しています。
当初の東海道線は、国府津から御殿場線を経由し、沼津に至るというルートを取っており、小田原や熱海は経由していませんでした。
現在は小田原、熱海経由の経路が東海道本線となっており、熱海駅でJR東日本とJR東海の管轄が変わります。
JR東海
続いて、JR東海管轄のエリアです。
東海道線を管轄する三社のうち、JR東海が最も長い距離を持っています。
沿線主要都市としては、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋、岐阜、米原などがあります。
東海エリアの主要在来線として、地域の足となっています。
ただ、やはり東京ほどの需要がないのが現状で、名古屋地区でも9両程度での運転となっています。
特にすごいのは、言わずと知れた熱海駅ですね。
東京から15両編成の電車が来たのに、熱海から先は3両編成なんてこともよくあります。
また、静岡エリア(熱海~豊橋間)は、ロングシート地獄で有名ですね。
乗りとおせば3時間くらいかかるにも関わらず、このエリアで活躍する車両はロングシートしかありません。
JR西日本
米原から終点である神戸までがJR西日本の管轄となっています。
このエリアは新快速と呼ばれる、特急並みの速さの快速電車が運転されています。
沿線の主要都市としては、大津、京都、高槻、大阪、尼崎、芦屋、神戸などがあります。
関西は私鉄王国とも呼ばれ、JRに対して多くの私鉄が並行しています。
そのため、JR西日本ではスピードアップなどに積極的に取り組み、乗客を増やしてきました。
ちなみに、神戸駅は、書類上は東海道本線の終点かつ、山陽本線の起点となっていますが、運行上で特に重要な駅ではないため、神戸止まりの電車はありません。
国鉄時代
東海道新幹線開業前は、正真正銘、日本の大動脈として、昼夜を問わずに多くの列車が行き来していました。
東京ー大阪を約7時間で結んだ特急こだまを筆頭に、数多くの列車が運行されていたため、東海道本線の線路容量は限界を迎えていました。
そこで、抜本的な輸送力改善を目的として、1964年からは大量、高速輸送の役割を新幹線に任せ、地域輸送や貨物列車の運行を中心に行うようになります。
いかがだったでしょうか?
おそらく、物足りないなと思った方が多いと思います。
次回以降、詳しく運行状況や観光地、グルメなどを紹介していきたいと思っています。
鉄道唱歌旅の再編の側面も兼ねており、全16回を予定しています。
今回もお読みいただきありがとうございました。
【いつもありがとうございます】200記事達成御礼!!
みなさま、こんにちは!
なんと!
この記事は記念すべき当ブログ200記事目です!!
開設から約2年、色々なことがありましたが、今もこうして様々な方にお読みいただけていること、ありがたい限りです。
本当にありがとうございます!!
200記事目にふさわしい記事を書きたいところではありますが、見事に何も浮かばないので、独断と偏見で選ぶベストショット200枚貼ります笑笑
時々、ネタとかふざけた写真も入れるかも…?
安直ではありますが、見て頂けたら幸いでございます。
PCにまとめてあるファイルからランダムに選んでいきます!
3 激レアE655系 (東京駅 総武地下ホーム)
10 神のましますところ (伊勢神宮 内宮)
16 伊豆の海 (伊豆急行線内某所、黒船電車より)
19 朝の京都駅 (東海道本線 京都駅)
20 イナリのヨミチ (伏見稲荷大社)
21 煌めく嵐山駅 (嵐電 嵐山駅)
23 雨の広電 (広電広島駅)
24 朝もやの瀬戸内海 (グランドプリンスホテル広島)
25 夕暮れの瀬戸内海 (同上)
26 満潮 (宮島 厳島神社)
27 雲海 (ANA 羽田ー高知)
28 昼から駄弁ろうぜ (高知 ひろめ市場)
29 これからの日本も大丈夫ぜよ (桂浜 坂本龍馬像)
30 青い海 (桂浜)
31 ミライの駅 (高輪ゲートウェイ駅)
34 商売繁盛祈願 (城崎温泉)
37 800段の絶景 (山形県 山寺)
38 時代の進歩 (新潟駅 特急いなほと新幹線の対面乗り換え)
39 異空間 (カプセルホテル)
40 前面展望 (本四備讃線某所)
42 世界で唯一 ガラスの灯台 (同上)
43 巨大な渦潮 (鳴門海峡)
45 たぶん菜の花 (予土線 江川崎駅)
47 100年の大工事 (道後温泉)
48 世界都市 TOKYO (渋谷スカイ)
49 揺れますねぇ… (三島スカイウォーク)
50 ダイオウグソクムシ (沼津 深海魚水族館)
52 おかえり (常磐線全線復旧 品川駅)
53 待ちわびた日常 (常磐線 仙台駅)
54 交通の要所 (新潟駅万代口バスターミナル)
63 スー〇がずんだ餅に見えた人、手挙げなさい (仙台駅構内)
64 鉄道の縮図 (仙石線 松島海岸駅)
65 仙台駅の屋上って駐車場なんですね! (仙台 エスパル高層階)
67 トンネルを抜けるとそこは雪国だった (上越線 土樽ー越後中里)
68 THE 温泉 (草津温泉)
70 みんな大好き旧型客車 (同上)
71 オシンコシンの滝 (北海道 知床への道中)
72 木々の谷間を抜けて… (知床)
73 大自然 (同上)
74 この道どこまで直線なんですか…? (北海道某所)
75 海の見える駅 (鶴見線 海芝浦駅)
77 古き良き日本の… (岡山 後楽園)
80 干潮 (宮島 厳島神社)
81 海の街 オノミチ (尾道 瀬戸内海某所)
82 平和を祈ります (広島 原爆ドーム)
87 鈍行の旅路 (同上)
88 どうか、この先も平和を… (長崎 平和公園)
89 神の道 (静岡 三保の松原)
92 近江の海 (彦根城から見る琵琶湖)
93 比良下ろしから電車を守れ! (湖西線 暴風対策と比良の山々)
94 ~千本鳥居を駆け抜けて~ (伏見稲荷 千本鳥居)
95 たなばたさま (京都 鴨川湖畔)
97 KOBE (神戸 ポートタワー)
98 先人の努力 (東武浅草駅)
99 東京スカイツリー (とうきょうスカイツリー駅より)
101 鉄分補給 (奈良公園)
102 日暮れ (東大寺)
103 いつかは乗りたい (四季島 上野駅)
104 荘厳 (日光 東照宮)
105 江戸時代 (日光江戸村)
108 旅するカモメ (津軽海峡フェリー)
109 幕末の史跡 (五稜郭タワー)
そろそろ疲れてきましたかね…?
ここから先は少し趣向を変えて、みんな大好き、食べ物の写真を貼っていきます!
見る時間には気を付けてくださいね笑笑
112 ヌードル (サフィール踊り子食堂車)
113 車内で酒盛り (サフィール踊り子 個室)
117 ひつまぶし (名古屋 〇屋)
118 味噌カレー牛乳ラーメン (青森市 大西)
121 麺や 麺五郎 (新潟駅前)
122 金目の塩焼き駅弁 (伊豆急下田駅)
123 横浜ラーメン (家系総本山 吉村家)
125 ぜんざい (中村藤吉本店 宇治本店)
126 濃茶 (同上)
127 牛かつ (勝牛 京都ヨドバシカメラ店)
128 湯葉定食 (嵯峨とうふ 稲)
131 同上
132 あなご茶漬け (広島駅 駅ナカ 心酔)
133 揚げ紅葉 (宮島 参道)
134 カツオのたたき、あおさのりの天ぷら、クジラの竜田揚げ (ひろめ市場)
135 サバの刺身 (敦賀 うおさき)
137 割り子そば (出雲大社 えにし)
138 カニの海鮮丼とハタハタのから揚げ (鳥取 だいせん)
139 かにめし駅弁 (山陰本線 キハ40にて)
140 但馬牛駅弁 (城崎温泉駅)
141 米沢牛 牛鍋 (牛鍋おおき)
143 オリーブ牛×ワイン (高松 丸亀町アーケード アミーゴ森崎)
144 サムライラーメン (高知県南国市 國丸)
145 カツオのたたき (明神丸)
147 坊ちゃん団子 (道後温泉アーケード)
148 松山鯛めし (道後温泉 秋嘉)
149 深海魚の塩焼き (沼津 しんちゃん)
150 マグロのカマトロ丼 (三島 魚がし鮨)
152 牛タン定食 (仙台 利久)
153 卵かけご飯 (羽田空港国内線ターミナル うまや)
154 上州地鶏定食 (けやきウォーク前橋 登利平)
155 鳴子そば (鳴子温泉 ふじや食堂)
156 新潟ののどぐろ (新潟 店舗不詳)
160 笹かま焼き (松島市)
161 松島の牡蠣 (同上)
162 仙台牛ステーキ (エスパル 伊勢屋)
165 大漁丼&カキの天ぷら (長岡 富寿司)
166 地獄谷ステーキ (草津温泉 店名不詳)
167 ホルモン焼き (北見 とよ七)
168 塩で食べる信州そば (松本市 佐々木)
169 山賊焼き (松本駅 から揚げセンター)
170 ごぼう天うどん (博多 大地のうどん)
171 ちゃんぽん (長崎 店舗不詳)
172 貴族の食事 (出島 オブジェです笑)
173 そばと天ぷら (鎌倉 からり)
174 茶そばと桜エビ天 (三保の松原 はごろも)
175 コーヒーとパン (東横イン蒲田一号店 朝食)
176 大和牛まぶし (近鉄奈良 雷神)
177 湯葉定食 (日光 店舗不詳)
178 宇都宮餃子 (宇都宮 店舗不詳)
181 メダカの佃煮 (新潟 店舗不詳)
182 スープカレー (札幌駅 天馬)
183 イカの踊り丼 (函館 たびじ)
184 味噌ラーメン (札幌 地下道 青竜)
185 山菜そば (高尾山 高橋家)
186 日本一のつけ麺 (松戸 とみ田)
187 ブリの漬け丼 (糸魚川 多喜)
188 徳島ラーメン (徳島 宝ラーメン)
189 肉うどん (高松駅 駅うどん)
190 大山鶏炭焼き (大山 京都ヨドバシカメラレストラン街)
ふぅ…
とんでもない飯テロ、心よりお詫びいたします笑
しかし、ぴったり200枚に調整するのは難しいですね笑
最後の10枚は、鉄道ベストショットでしめたいと思います。
191 新幹線から見る211系
192 千葉駅を通過するN'EX
193 相模湖を通過するE257系
194 東京を目指す山陽新幹線
195 !?!?!?!?
196 根府川駅
197 国鉄の旅
198 快速海里
199 石北本線
200 これからも頑張ろう、JR
いかがだったでしょうか?
独断と偏見で選ぶ写真シリーズ、お楽しみ頂けましたでしょうか?
早く好きなところに自由に行けて、好きなものが食べられる日々が戻ってくるといいですね。
これからも当ブログ、続けていきますので、末永くよろしくお願いします。
☆何番の写真が良かったとかコメントくれるとすごく喜びます笑
良かったら教えてください。
今回もお読みいただきありがとうございました。
地下鉄のナゾ【拡幅車体が走らない理由】【前面に扉がついている理由】
地下鉄。
それは、地面の下のトンネルを走る鉄道です。
日本では浅草ー上野に開業した銀座線が最初であり、また東洋で初めての地下鉄道であったことでも知られています。
現在は、東京を中心に様々な大都市の人々の足となっています。
そんな地下鉄ですが、実は様々な制約のもとで運転されているのです。
拡幅車体が走らない理由
初めに、幅の広い車両(拡幅車体)について見ておきます。
JRでは、一編成当たりに乗せられる乗客を少しでも増やすため、首都圏を中心に拡幅車体と呼ばれる車両が活躍しています。
車体の上部から下部に向かって湾曲していると言いますか、少々曲がっているのが確認できると思います。
このおかげで一両あたりの定員を増やすことに成功しています。
ところが、地下鉄や、地下鉄に直通する車両にはこのような構造の車両が走っていません。
地下鉄に拡幅車体が走っていない理由は、ずばり、工費を抑えるためです。
当然、地下鉄の開業には穴を掘る必要があるわけですが、穴の直径が大きければ大きいほど、掘削費は高くなります。
そのため、東京メトロ並びに直通運転する私鉄などの車両には拡幅車体は活躍していません。
例えば、日比谷線と直通運転を行っている東武鉄道70090系もその一例です。
前面に扉がある理由
続いて、前面扉がついている理由を見ていきます。
このように地下鉄車両やそれに準ずる車両には必ず前面に扉のようなものがついています。
実際、これは扉で、非常時に使われるものです。
地下鉄を作る上で、車体とトンネルの壁の間に最低400ミリ以上の空間を確保できない場合には、前面に非常用の扉を設けることが法律で定められています。
掘削費を抑えるためにギリギリに作られている地下鉄では、40センチ以上の幅を確保できないため、必ず非常用扉を前面に設けています。
つまり、逆に言えば、40センチ以上の空間があれば、非常用扉を設ける必要はないことになります。
実は40センチ以上に基準が変わったのは割と最近のことで、それ以前は地下を走行する場合には前面扉を設けるか、拡幅車体は入れないことが義務でした。
特にE217系は法律改正が製造時期に重なったことから、ある時期を境に前面扉はダミーとなっています。
同様に京葉線も、当時は法律の問題をクリアできなかったことから、205系などが活躍していましたが、改正以降は拡幅車体のE233系が活躍するようになりました。
いかがだったでしょうか?
地下鉄は、工費を抑えたかったり、非常時に逃げ場が少ないことから、拡幅車体を入れることが出来ません。
地下鉄車両を観察してみるのも面白いですね。
今回もお読みいただきありがとうございました。
【窓が大きい】西武特急ラビューに乗ったら世界が変わった
前回に引き続き、西武特急特集です。
今回は池袋線系統に投入された新型車両、ラビューを取り上げます。
西武特急ラビュー号は、池袋と秩父を結ぶ観光特急として、2019年にデビューした車両です。
西武特急の代名詞でもあるレッドアローの名前は当形式には引き継がれず、新たにラビュー(Laview)と名づけられました。
ラビュー自体は造語ですが、以下のような意味を込めているそうです。
L 贅沢(Luxury)なリビング(Living)のような空間
a 矢(arrow)のような速達性
view 大きな窓から移りゆく眺望(view)
個人的には、名前こそ変わったものの、レッドアローを彷彿とさせるarrowの単語が入っていることは結構うれしいです笑
また、車両のコンセプトには、今までに見たことのない車両、次の100年に向けた出発点である車両、などが掲げられており、100年から逆算した001系という形式番号となっています。
00で無限(∞)も表しているそうです。
コンセプトからも、西武鉄道がこの車両に託した熱い想いが伝わってきます。
そんなラビューの最大の特徴は窓が大きいことだと思います。
確かにこんなに窓の大きな車両は見たことがありません笑
秩父の季節の変化を存分に楽しめると思います。
例えば、冬の芦ヶ久保の氷柱はどうでしょうか?笑
続いて、車内も簡単に見ておきます。
全体として、かなり明るい黄色を基調としていますが、そこまでしつこい印象はありませんでした。
座席が体を包み込むような構造で、リクライニングをすると不思議な感覚でした。
言葉で説明するのが非常に難しいのですが、しいて言えばN700系のグリーン車のような感覚です。
車両前後にデジタルサイネージが採用され、停車駅の他、沿線の観光名所の宣伝などもしていました。
レッドアローの10000系に比べても走行音も静かで快適な乗車時間でした。
ところで…
車内チャイムの最初の3音くらいが、サフィール踊り子のそれと同じだと思うのですが、皆さんどうですかね?
残念なことに私は音楽の才能が絶望的なので、絶対音感をお持ちの方がいたら教えてください笑笑
作曲者自体は同じだそうなので、まあ、同じでも違和感はありませんね。
いかがだったでしょうか?
西武鉄道が様々な意味を託したラビュー。
これからの100年や無限の意味が込められており、ある意味現代の無限列車と言えるかもしれませんね笑
特急券は池袋から西武秩父までで710円ほどと比較的安いので、様々な季節に足繫く通うのも楽しいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。
【レッドアロー】伝統のクラシック色 まもなく引退!
皆さんは、西武線を利用したことはありますか?
池袋線系統には現在、ラビューという新しい特急が運転されていますが、新宿線系統ではレッドアローが活躍しています。
中でも初代5000系をイメージしたクラシック色の10000系がまもなく引退となります。
本日はそんなレッドアロークラシック色の紹介をします。
レッドアローの歴史としては、初代の5000系に始まります。
一応、池袋線系統はちちぶ、むさし、新宿線系統には小江戸の愛称がついていますが、レッドアローの名前の方が知名度は高いと思います。
最初の車両は1993年のデビューということで、そこそこ古い部類に入ります。
コチラが通常のカラーリングです。
灰色系の色合いに窓下の赤いラインが際立っています。(ホームドアが思いの外高くて、側面が撮れなかった…)
小さい頃は、JR池袋駅の隣から西武特急が見えていて、憧れの特急の一つでした。
初めてレッドアローに乗ったのは、秩父に行ったときでした。
当時はラビューのデビュー前だったため、池袋線でも活躍していました。
そのレッドアロー初乗車の車両がクラシックだったこともあり、この車両にはそこそこの思い入れがあります。
ちなみに第一印象は、国鉄リスペクトか?、でした笑
後々調べてみたところ、特にそういうわけではなく、純粋に初代レッドアローからの伝統的なカラーリングであると知りました。
車内は時代相応の、豪華というよりはシンプルなデザインです。
ラビューに比較してモーターの音も大きく、国鉄車に乗っているかのようなエンジン音が響いてきます。
全体的な停車駅として、西武新宿、高田馬場、東村山、所沢、狭山市、本川越となっています。
レッドアローの名称も池袋線系統には引き継がれず、新宿線系統がどうなるのかはわからないところではありますが、今後は貴重な存在になっていくと思います。
ラストラン後は、臨時列車としての運行も控えており、すぐの廃車にはなりませんが、記録にはしっかりと収めておきたいところですね。
いかがだったでしょうか?
ファンや沿線住民の声に応えて塗装変更したレッドアロークラシック。
臨時列車として、池袋線などを介して秩父までの運行もあるそうです。
社会情勢が難しく、詳細がどうなるか分かりにくいところではありますが、最後まで元気に走ってほしいと思います。
皆様も記録等お忘れなく!
今回もお読みいただきありがとうございました。
【通勤五方面作戦】殺人的ラッシュを緩和させた国鉄屈指の大事業
通勤五方面作戦。
それは、東海道新幹線の開業に匹敵するほどの国鉄屈指の大事業と言えるでしょう。
ちょくちょく当ブログ内には登場していた単語ですが、詳しく書いたことがなかったので、かる~く触れてみたいと思います。
時は1960年代、首都圏の鉄道路線網は乗車率300%を超え、通勤地獄、殺人的ラッシュと揶揄されていました。
国鉄は従来より使用されていた72系電車を101系に置き換えるなど、輸送力の増強は図っていましたが、利用者は増加する一方でした。
首都圏の鉄道ネットワークは山手線を中心に、中央線、東海道線、総武線、常磐線、東北本線の五方面に伸びる路線が担っていることが分かります。
当作戦の名前の由来はここから来ています。
全体的な概要としては、線路を増やすことによって複々線化し、運行できる電車の数を増やそうという考え方です。
東海道本線
まずは東海道線系統です。
従来、横須賀線と東海道線が線路を共有しており、ダイヤ作成上のネックとなっていました。
そこで、俗にいうSM分離を行います。
従来の東海道貨物線は旅客化、別途貨物路線を新設するというのが概要です。
横須賀線の経緯なども説明しているので、詳しくはコチラもご参照ください。
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
総武本線
五路線の中で最も混雑率が深刻だった総武線。
総武線の考え方は比較的簡単で、千葉までの区間で各駅停車、快速、特急が共用していた線路を分離させるというものでした。
また、快速線の東京駅乗り入れを同時に行うことで、千葉方面から東京へのアクセス利便性が向上しました。
総武線の経緯についてもコチラをご参照ください。
kishuji-kaisoku.hatenablog.com
また、併せて営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線への直通運転もこの時期に開始されました。
JR所属ながら、東西線直通用車両が三鷹車両センターに所属しています。
常磐線
続いて常磐線です。
この路線もまた、北千住から取手までの区間で緩急分離を行うこと、必要に応じて営団地下鉄千代田線への直通が決まりました。
緩行線が千代田線に乗り入れることで、運賃が割高になること、東京駅に行かないことなどを理由に迷惑乗り入れなどと称されています。
現在も根本的な問題は解決していないものの、上野東京ラインの開業や、小田急線までの乗り入れなど、別の方面からの利便性が図られています。
東北本線、高崎線
この区間は従来、列車線と貨物線が敷設され、複々線の環境は整っていました。
ただ、列車線を京浜東北線と宇都宮、高崎両線が共有し、線路容量が限界でした。
そこで、貨物線を旅客線に転用、新たに貨物線を敷設し、三複線化されました。
また、これに合わせて川口ー大宮間の立体化も行われ、踏切が撤去されました。
中央本線
続いては中央線系統です。
中央線は、東京西部に延び、開発が簡単だったことや、人口増加の可能性があったことから、五方面作戦以前から複々線化が行われています。
中野まで開業していた複々線を、当作戦時には立川まで延伸する計画でしたが、事情あって三鷹で凍結しています。
また、中野から東西線に乗り入れも併せて計画され、三鷹車両センターには東西線直通用のE231系が配属されています。
いかがだったでしょうか?
国鉄を経営破綻に追い込んだ事業の一つと言われる一方、殺人ラッシュを緩和させた点から成功との見方もある通勤五方面作戦。
確かに乗車率300%に加えて、当時の電車には冷房もついていなかったそうなので、考えただけでもゾッとします…
この事業を行った先人や、現在の冷房付きの電車には感謝しなければなりませんね。
今回もお読みいただきありがとうございました。